田辺城@三重県北勢町 [お城踏査]

田辺城は三重県北勢町にあった中世城郭です。

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田辺城跡の入り口にある門です。

模擬門です。

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説明です。

田辺城は木造城主の木造義政が天正14年に造りました。

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田辺城の縄張り図です。

方形の本丸は櫓台や折れがあり、天正14年の築城だけに戦国末期城郭らしいです。

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城跡に入ると熊の親子がお出迎え。

もちろん作り物ですが、なぜにここに?

ギョッとします。

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堀です。

戦国末期らしく箱堀です。

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城跡はかなりの藪です。

左端は土塁です。

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田辺城の図面です。
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正法寺 [寺院]

正法寺は岡崎市東本郷町にある浄土真宗大谷派の寺院です。

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山門です。

境内を囲む塀は失われています。

隣には飛鳥神社がありました。

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本堂です。

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太鼓楼です。

太鼓楼は浄土真宗の寺院に特有な施設です。

現在は使われていません。

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岡崎市のマンホールです。

矢作橋と岡崎城がデザインされています。
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植村新八郎栄安の生誕地 [お城踏査]

徳川家康の家臣である植村新八郎栄安の生誕地だす。

岡崎市東本郷町にあります。

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石碑です。

植村栄安は家康の祖父清康、父広忠、家康の三代に仕えました。

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説明です。

植村栄安が生まれた城跡はこの付近だったのでしょうか。

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近くにある石塔です。

植村氏に関係するのでしょうか。

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名鉄 2200系 [鉄道]

名鉄電車です。

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2200系です。

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特急用車両です。

名鉄カラーのスカーレットレッドを先頭に残しています。

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最終の車両です。
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名古屋鉄道3000系 [鉄道]

名古屋鉄道です。

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特急須ケ口行きです。

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3000系です。

名鉄はやはり赤が似合います。

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車内の様子です。

名鉄3000系の車内には電車のスピードが表示されています。

少しわかりにくいですが、現在のスピードは97キロです。

スピード表示を見ているとなにかワクワクしますね。
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名古屋城天守閣 [お城踏査]

名古屋城天守閣からの眺め

天守閣と言っていますが、天守閣というのは明治以降の呼称です。

江戸時代には天守若しくは殿守と呼ばれていました。

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天守から見た西の丸収蔵庫建設現場です。

すこしずつ形が出来てきました。

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天守閣では最後の企画展―名品展


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名古屋城天守 [お城踏査]

名古屋城天守閣に5月7日から入場禁止になります。

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木造による天守復元のためです。

解体は9月頃からのようです。

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小天守です。

小天守も木造復元されるのでしょうか。

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廊下橋から見上げた大天守です。

この姿もしばらく見られなくなります。

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天守穴蔵の石垣です。

隅石が見事な算木積みです。

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穴藏内部です。

中は薄暗いです。

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天守に入ると大きな金鯱が出迎えてくれます。

やはり名古屋城は金鯱です。

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天守五重目、最上階。

実際には7階です。

五重七階の天守です。

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こちらは記念写真用の金鯱です。

上に乗ることもできます。

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天守は鉄筋コンクリート造りですが、内装は一部は木目調にお色直しされています。

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名古屋城の模型です。

多くの櫓や建物が建っていました。

意外と櫓は本丸以外の曲輪は櫓か少ないです。
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名古屋城本丸御殿復元工事の現況 平成30年4月下旬 [名古屋城本丸御殿]

名古屋城本丸御殿復元工事の現況です。

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上洛殿です。

外観はほぼ完成しています。

現在は天井や障壁画など内装工事を行っています。

右上に見えるのは小天守です。

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表書院です。

このアングルでは初めて見ました。

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御殿と天守です。

天守は木造再建のため秋には取り壊されるのでこのシーンを見られるのはあと少しです。

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6月8日の公開まで46日です。

待ち遠しいです。
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明智光秀の墓 [歴史雑話]

明智光秀の墓が京都市山科区の勧修寺の近くにあります。

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明智塚と呼ばれています。

天正10年、本能寺の変で織田信長を討った明智光秀ですが、山崎合戦で羽柴秀吉に負けると坂本城に逃げる途中にこの近くで農民に襲われて竹槍に刺されて戦死します。

ここは明智光秀の墓があります。

首は家臣の溝尾庄兵衛が坂本城に運び、胴はこの地に埋めました。

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碑があるだけで特に説明などはありませんでした。

明智光秀が討たれたと言われる小栗栖の藪はここから南に1キロほど行ったところです。

明智藪と言われて今も山道が残っているようです。

まさか京都の山科に明智光秀の最後の地があるとは。



2020年のNHKの大河ドラマは明智光秀が主人公の「麒麟がくる」です。

ここも再来年には賑わうでしょう。

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勧修寺 [寺院]

京都府山科区の勧修寺の特別拝観に行って来ました。

かじゅうじと読みます。

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山門です。

薬医門です。

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門です。

高麗門です。

勧修寺は真言宗山階派の本山です。

『勧修寺縁起』によると、勧修寺は昌泰3年(900)に醍醐天皇が生母である藤原胤子の追善のために、胤子の祖父にあたる宮道弥益の邸宅跡を寺に改めたものです。

開山は東大寺出身の法相宗の僧である承俊律師です。

代々法親王が入寺する門跡寺院として栄えました。

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宸殿です。

元禄10年(1697)に明正天皇の宮殿を下賜されたものです。

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庇部分です。

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寝殿の内部です。

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上段の間が一段高くなっています。

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書院です。

書院は貞享3年(1686)に後西天皇の宮殿を下賜されたものといわれます。

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書院の二の間です。

障壁画が美しい。

普段は非公開ですが、春と秋の特別公開のみ公開されます。

お寺の特別公開は写真撮影禁止のところが多いですが、勧修寺は写真撮影OKです。

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一の間です。

障壁画は土佐光起・光成父子の作と言われます。

または、狩野派の作とする説もあります。

書院の違い棚は「勧修寺棚」と言われるものです。

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二の間との間の襖絵です。

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欄間です。

格式の高い筬欄間です。

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釘隠しです。

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観音堂です。

観光パンフレットではよく進修寺として出てくる建物です。

桜は散っていましたが、桜の季節は美しいでしょう。

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書院の前にある燈籠です。

水戸光圀の寄進と伝えられ「勧修寺型燈籠」と呼ばれています。

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