近江鉄道 [鉄道]

近江鉄道です。

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ラッピング車両です。

二両編成ですが、後ろの車両は別のラッピングです。

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伊藤園のラッピングです。

おーいお茶 濃い味です。

近江鉄道はラッピング車両を多く導入されています。
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田村神社 [神社]

滋賀県甲賀市土山町に所在する田村神社です。

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田村神社の一の鳥居です。

鳥居から長い参道が続きます。

奥深いです。

田村神社の碑は東郷平八郎の書です。

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拝殿です。

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本殿です。

祭神は征夷大将軍坂上田村麻呂です。

だから田村神社なのです。

嵯峨天皇並びに倭姫命を合わせて祀られています。

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本殿の前にある矢竹です。

坂上田村麻呂が鈴鹿山中で山賊を平定した際に、矢を射て、矢の落ちた場所に我が宮居として斎き祀れと言いました。

その矢が落ちた場所か田村神社の本殿前です。

矢から青々と芽が出て現在の矢竹となりました。

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田村神社の絵馬です。

矢が描かれています。

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願い成就の清め道です。

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境内は森の中にあり、かなり広いです。

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八幡神社@滋賀県甲賀市水口町 [神社]

滋賀県甲賀市水口町宇田にある八幡神社です。

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拝殿です。

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石橋です。

アーチの角度がすごいです。

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馬の像です。

奉納されたものです。

三つ巴の紋が付けられています。

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祭神は応神天皇です。

創建は不明ですが、建久年中以前は宇田の字円明寺付近にありましたが、その後現在の地に移りました。

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奉納された馬の絵馬です。

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植城@滋賀県甲賀市水口町 [お城踏査]

植城は滋賀県甲賀市水口町植にあった中世城郭です。

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堀跡のげんの壕跡です。

城跡は神社や藪になっています。

複雑で全体像がとてもわかりにくいです。

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植城の想定図です。

植城は歴史もはっきりしません。

複数の居館が集まっていた城のようです。

中心は城の内と呼ばれていたようです。

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城跡にある吉山神社です。

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土塁の跡でしょうか。

よくわかりません。

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城跡の西にある唯称寺です。

寺の近くにも土塁状の遺構がありますが、判然としません。

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唯称寺の墓地には古い五輪塔などが数多くありました。

植城に関係する墓石でしょうか。
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山中氏館@滋賀県甲賀市水口町 [お城踏査]

山中氏館は滋賀県甲賀市水口町字田にあった中世城郭です。

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城跡です。

すごい藪になっています。

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隅は土塁になっているように見えますが、藪が酷くて中には入れませんでした。

少し高くなっているので土塁と思われます。

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城跡の説明です。

山中氏は山中村の地頭で鈴鹿山警護役を務める御家人でした。

その後に一家が神宮領柏木御厨内のこの地に移り、戦国期には有力な国人になりました。

甲賀郡中惣の中核をなしましたが天正13年に豊臣秀吉によって改易されました。


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水口岡山城 その5 [お城踏査]

水口岡山城の続きです。

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二の丸跡です。

水口岡山城は山上に本丸などの曲輪を並べた連郭式の縄張りです。

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二の丸と三の丸の間の堀切です。

茂っていてわかりにくいですが。

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三の丸の入り口です。

二本の柱が建っているあたりが門の跡です。

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三の丸跡です。

広場になっています。

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三の丸の下の曲輪から見た三の丸です。

かなりの比高差があります。

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水口岡山城の縄張り図です。

黄色が曲輪で緑は法面です。

色分けされているとわかりやすいですね。

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山腹に鎮座する穂徳稲荷神社です。

明治時代に建てられました。

(終わり)

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水口岡山城 その4 [お城踏査]

水口岡山城の続きです。

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水口岡山城は以前は土の城と思われていました。

それが近年の調査で総石垣造りの織豊城郭であったことがわかりました。

石垣見学ルートの入り口です。

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水口岡山城は天正13年に豊臣秀吉の家臣の中村一氏によって築かれました。

天正13年に築かれた城ならば石垣も築かれた可能性は高いですが、江戸時代に築かれた水口城の築城のため石垣の石が運ばれたためです。

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山上の本丸は石垣がほとんど撤去されていますが、本丸の下部には今でも石垣が一部残っています。

石垣の積み方は野面積みです。

隅石は算木積みになっていいます。

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天正年間はこのような石垣が山上の曲輪全体に築かれていたと思われます。

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かつては山頂は草木が茂繁していて石垣は全く見えませんでしたが、今は見学路が整備されていて、石垣がよく見えます。

(続く)
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水口岡山城 その3 [お城踏査]

水口岡山城の続きです。

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西の丸跡です。

本丸の西にあります。

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ここは土塀と櫓が模擬復元されています。

土塀は狭間も開けられている本格的なものです。

長さは20mほどです。

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土塀と櫓の位置関係です。

小さくて麓からは全く見えません。

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観光目的の模擬復元なのでこんな形だったのか、位置関係は不明です。

櫓は上に登れます。

見晴らしは抜群です。

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西の丸部分の縄張り図です。

本丸とは深い堀切で分断されています。

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本丸の下にある食い違い虎口跡です。

土塁に寄って虎口が食い違っているところがわかるでしょうか。

一部に石垣も見られます。

(続く)

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水口岡山城 その2 [お城踏査]

水口岡山城の続きです。

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山頂までは一息あります。

標高282mです。

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山頂はかなり広い空間が広がっています。

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本丸櫓の跡です。

天守の跡とも言われます。

水口岡山城は天正13年の築城なので、天守相当の櫓があったと思われます。

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水口岡山城は実は2つの天守があったのではないかと言われています。

発掘調査の結果大きな櫓の跡が本丸の東西から見つかっています。

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山頂にある縄張り図です。

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その本丸部分のアップです。

現在地とある東西にケバの高まりがありますが、そこで天守跡想定地です。

天正13年の城ならば天守があって然るべきですが、本丸の東西に並び立つように2つの天守があったとすればとても珍しい事例です。

(続く)

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水口岡山城@滋賀県甲賀市 [お城踏査]

水口岡山城は滋賀県甲賀市水口町にあった城郭です。

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水口岡山城の大手口付近です。

背後の山が城跡です。

標高282mの古城山にあります。

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城跡への登り口にある石碑です。

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説明です。

水口岡山城は天正13年(1585)に中村一氏が築いた山城です。

関ヶ原合戦の時には長束正家が城主でしたが、正家は西軍に組したため廃城となりました。

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岡山水口城の縄張り図です。

高田徹氏の原図です。

全山城郭化されています。

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虎口跡です。

写真ではわかりにくいですが、土塁で囲まれた枡形虎口です。

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山頂に祀られている阿迦之宮です。

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阿迦之宮の由来です。

関ヶ原合戦後に廃城となった水口岡山城は江戸時代には古城山と呼ばれて、水口藩の御林山となりました。

享保年間に大岡寺の寂堂法印が山頂に奥ノ院として祀ったのが始まりです。

その後、阿迦之宮は古城山の守り神、水口町町民の守り神、長束正家の霊を祀るようになりました。

(続く)
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