名古屋城本丸御殿復元工事の現況 平成30年4月下旬 [名古屋城本丸御殿]

名古屋城本丸御殿復元工事の現況です。

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上洛殿です。

外観はほぼ完成しています。

現在は天井や障壁画など内装工事を行っています。

右上に見えるのは小天守です。

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表書院です。

このアングルでは初めて見ました。

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御殿と天守です。

天守は木造再建のため秋には取り壊されるのでこのシーンを見られるのはあと少しです。

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6月8日の公開まで46日です。

待ち遠しいです。
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明智光秀の墓 [歴史雑話]

明智光秀の墓が京都市山科区の勧修寺の近くにあります。

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明智塚と呼ばれています。

天正10年、本能寺の変で織田信長を討った明智光秀ですが、山崎合戦で羽柴秀吉に負けると坂本城に逃げる途中にこの近くで農民に襲われて竹槍に刺されて戦死します。

ここは明智光秀の墓があります。

首は家臣の溝尾庄兵衛が坂本城に運び、胴はこの地に埋めました。

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碑があるだけで特に説明などはありませんでした。

明智光秀が討たれたと言われる小栗栖の藪はここから南に1キロほど行ったところです。

明智藪と言われて今も山道が残っているようです。

まさか京都の山科に明智光秀の最後の地があるとは。



2020年のNHKの大河ドラマは明智光秀が主人公の「麒麟がくる」です。

ここも再来年には賑わうでしょう。

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勧修寺 [寺院]

京都府山科区の勧修寺の特別拝観に行って来ました。

かじゅうじと読みます。

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山門です。

薬医門です。

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門です。

高麗門です。

勧修寺は真言宗山階派の本山です。

『勧修寺縁起』によると、勧修寺は昌泰3年(900)に醍醐天皇が生母である藤原胤子の追善のために、胤子の祖父にあたる宮道弥益の邸宅跡を寺に改めたものです。

開山は東大寺出身の法相宗の僧である承俊律師です。

代々法親王が入寺する門跡寺院として栄えました。

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宸殿です。

元禄10年(1697)に明正天皇の宮殿を下賜されたものです。

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庇部分です。

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寝殿の内部です。

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上段の間が一段高くなっています。

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書院です。

書院は貞享3年(1686)に後西天皇の宮殿を下賜されたものといわれます。

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書院の二の間です。

障壁画が美しい。

普段は非公開ですが、春と秋の特別公開のみ公開されます。

お寺の特別公開は写真撮影禁止のところが多いですが、勧修寺は写真撮影OKです。

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一の間です。

障壁画は土佐光起・光成父子の作と言われます。

または、狩野派の作とする説もあります。

書院の違い棚は「勧修寺棚」と言われるものです。

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二の間との間の襖絵です。

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欄間です。

格式の高い筬欄間です。

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釘隠しです。

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観音堂です。

観光パンフレットではよく進修寺として出てくる建物です。

桜は散っていましたが、桜の季節は美しいでしょう。

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書院の前にある燈籠です。

水戸光圀の寄進と伝えられ「勧修寺型燈籠」と呼ばれています。

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