白石城@宮城県白石市 [お城踏査]
白石城は宮城県白石市にあった近世城郭です。
白石城は別名を益岡城。
築城の時期は明らかではありませんが、この地の豪族の刈田氏の居城でしたが、戦国期には伊達氏の家臣となりました。
天正19年(1591)に会津に移封された蒲生氏郷の家臣の蒲生源左衛門郷成が本格的に築城しました。
慶長3年(1598)に上杉氏領になると甘糟備後守清長が入ります。
関ヶ原合戦の直前に伊達政宗は白石城を攻略して石川昭光が入りますが、慶長7年に片倉小十郎が城主となります。
江戸時代は仙台藩の支城でした。
一国一城令の例外として存続を認められていました。
代々片倉氏が城主を勤めました。
登り口です。
坂は舗装されています。
東口門跡です。
二之丸の大手二の門がありました。
この門は現在は白石市内の當信寺に移築されています。
二の丸付近の石垣です。
石垣の説明です。
北側と南側で積み方が異なります。
この坂を登り切るといよいよ本丸です。
本丸門と天守(三階櫓)が目に飛び込んできます。
白石城は別名を益岡城。
築城の時期は明らかではありませんが、この地の豪族の刈田氏の居城でしたが、戦国期には伊達氏の家臣となりました。
天正19年(1591)に会津に移封された蒲生氏郷の家臣の蒲生源左衛門郷成が本格的に築城しました。
慶長3年(1598)に上杉氏領になると甘糟備後守清長が入ります。
関ヶ原合戦の直前に伊達政宗は白石城を攻略して石川昭光が入りますが、慶長7年に片倉小十郎が城主となります。
江戸時代は仙台藩の支城でした。
一国一城令の例外として存続を認められていました。
代々片倉氏が城主を勤めました。
登り口です。
坂は舗装されています。
東口門跡です。
二之丸の大手二の門がありました。
この門は現在は白石市内の當信寺に移築されています。
二の丸付近の石垣です。
石垣の説明です。
北側と南側で積み方が異なります。
この坂を登り切るといよいよ本丸です。
本丸門と天守(三階櫓)が目に飛び込んできます。
當信寺 [寺院]
白石城移築門 その2 [移築城門]
白石城移築城門 [移築城門]
岐阜城 [お城踏査]
岐阜城山腹石垣見学会 [発掘調査現地説明会]
最近新たに発見された岐阜城の山腹石垣の見学会に行って来ました。
説明しにくい位置ですが、馬の背登山道と瞑想の小道の間の尾根です。
標高160mほどの位置です。
赤ケ洞の付近です。
説明会の様子です。
岐阜市教育委員会の担当者からの説明です。
これが見つかった石垣です。
石垣と言ってもかなり崩壊していて部分的に残るのみです。
長さ2mもあり、山麓の信長居館のものと似ているそうです。
残る石をつなげるとコーナーを作ることができます。
大きな石を使うことで麓からの見上げをよくしていました。
説明会の資料です。
4段の削平地があり、②の部分が最大で20mほどの長さです。
説明によると織田信長の息子の信忠の館があったのではということでした。
かなりの細尾根で、井戸もなく、こんなところに住むのは大変だなぁと思いました。
発掘調査をしていないので、遺物は不明です。
今後の詳細な調査が待たれます。
さらに時代が遡る可能性もあるそうです。
説明しにくい位置ですが、馬の背登山道と瞑想の小道の間の尾根です。
標高160mほどの位置です。
赤ケ洞の付近です。
説明会の様子です。
岐阜市教育委員会の担当者からの説明です。
これが見つかった石垣です。
石垣と言ってもかなり崩壊していて部分的に残るのみです。
長さ2mもあり、山麓の信長居館のものと似ているそうです。
残る石をつなげるとコーナーを作ることができます。
大きな石を使うことで麓からの見上げをよくしていました。
説明会の資料です。
4段の削平地があり、②の部分が最大で20mほどの長さです。
説明によると織田信長の息子の信忠の館があったのではということでした。
かなりの細尾根で、井戸もなく、こんなところに住むのは大変だなぁと思いました。
発掘調査をしていないので、遺物は不明です。
今後の詳細な調査が待たれます。
さらに時代が遡る可能性もあるそうです。
松島巡り [四方山話]
瑞巌寺 [寺院]
松島の瑞巌寺です。
総門です。
庫裏です。
煙出しが塔みたいです。
本堂の中の上段之間です。
国宝です。
内部は撮影禁止です。
欄間も素晴らしい。
間取り図です。
上段の間は10畳です。
その次に文王間が続きます。
上段之間の写真を撮りました。
床の間と違い棚を備えた書院造りです。
天井は小組折り上げ格天井です。
写真ではわかりにくいですが、鉤上段になっています。
鉤上段は聚楽第の大広間にあったもので、上段の一部がL字に飛び出している形です。
現存しているのは伏見城から移築した西本願寺の白書院や伊勢神宮など一部です。
熊本城の本丸御殿にも復元されています。
さらに上段の間の左手に上々段の間があります。
これは天皇や将軍など特別な人が座る場所です。
これも同様の間は西本願寺の白書院にあります。
こちらは孔雀の間です。
孔雀が描かれています。
総門です。
庫裏です。
煙出しが塔みたいです。
本堂の中の上段之間です。
国宝です。
内部は撮影禁止です。
欄間も素晴らしい。
間取り図です。
上段の間は10畳です。
その次に文王間が続きます。
上段之間の写真を撮りました。
床の間と違い棚を備えた書院造りです。
天井は小組折り上げ格天井です。
写真ではわかりにくいですが、鉤上段になっています。
鉤上段は聚楽第の大広間にあったもので、上段の一部がL字に飛び出している形です。
現存しているのは伏見城から移築した西本願寺の白書院や伊勢神宮など一部です。
熊本城の本丸御殿にも復元されています。
さらに上段の間の左手に上々段の間があります。
これは天皇や将軍など特別な人が座る場所です。
これも同様の間は西本願寺の白書院にあります。
こちらは孔雀の間です。
孔雀が描かれています。