仙台城 その4 [お城踏査]
仙台城の続きです。
三の丸には現在は仙台市博物館が建てられています。
三の丸には2つの門がありました。
南東が巽門で北側が子門です。
子門です。
ねのもんと呼びます。
子門の説明です。
三の丸の土塁です。
三の丸の堀です。
堀と言うよりは池のようです。
最後に大手門脇櫓をもう一度。
壁には狭間が切られています。
(終わり)
三の丸には現在は仙台市博物館が建てられています。
三の丸には2つの門がありました。
南東が巽門で北側が子門です。
子門です。
ねのもんと呼びます。
子門の説明です。
三の丸の土塁です。
三の丸の堀です。
堀と言うよりは池のようです。
最後に大手門脇櫓をもう一度。
壁には狭間が切られています。
(終わり)
仙台城 その3 [お城踏査]
仙台城 その2 [お城踏査]
仙台城の続きです。
大手門脇の石垣です。
この隣に大手門がありました。
大手門跡の説明です。
大手門の古写真です。
高さ12mの日本最大級の櫓門でしたが、昭和20年の仙台空襲で脇櫓と共に焼失してしまいました。
名護屋城の大手門を移築したとも伝えられます。
大手門付近の古写真です。
大手門と脇櫓や御殿の建物が写ります。
現在の大手門跡付近です。
市道仙台城跡線が通っていて、現在も交通量がかなり多いです。
大手門を復元するという話題は何度も出ていますが、一番のネックはこの道路が通っていることで、代替の道路を作らない限りは不可能です。
古写真や測量図が残り、正確な復元が可能なだけに、何とか復元できると良いですね。
大手門脇の石碑です。
支倉常長の像です。
支倉常長は慶長18年(1613)伊達政宗の命で遣欧使節としてヨーロッパに渡り、ローマ教皇に謁見しました。
しかし、その後日本国内ではキリスト教が禁教となり、元和6年(1620)に帰国するも2年後に失意のうちに死去しました。
大手門脇の石垣と土塀です。
土塀は復元です。
土塀と脇櫓です。
土塀の内側です。
L字形に復元されています。
大手門脇の石垣です。
この隣に大手門がありました。
大手門跡の説明です。
大手門の古写真です。
高さ12mの日本最大級の櫓門でしたが、昭和20年の仙台空襲で脇櫓と共に焼失してしまいました。
名護屋城の大手門を移築したとも伝えられます。
大手門付近の古写真です。
大手門と脇櫓や御殿の建物が写ります。
現在の大手門跡付近です。
市道仙台城跡線が通っていて、現在も交通量がかなり多いです。
大手門を復元するという話題は何度も出ていますが、一番のネックはこの道路が通っていることで、代替の道路を作らない限りは不可能です。
古写真や測量図が残り、正確な復元が可能なだけに、何とか復元できると良いですね。
大手門脇の石碑です。
支倉常長の像です。
支倉常長は慶長18年(1613)伊達政宗の命で遣欧使節としてヨーロッパに渡り、ローマ教皇に謁見しました。
しかし、その後日本国内ではキリスト教が禁教となり、元和6年(1620)に帰国するも2年後に失意のうちに死去しました。
大手門脇の石垣と土塀です。
土塀は復元です。
土塀と脇櫓です。
土塀の内側です。
L字形に復元されています。
仙台城@宮城県仙台市青葉区 [お城踏査]
名古屋城天守木造復元 [名古屋城天守木造復元]
名古屋城の天守の公開が平成30年5月6日で終了して5月7日からは入れなくなりました。
小天守の入り口が閉じられています。
石垣などの調査をして平成30年9月から解体して木造による再建工事が始まります。
新たに名古屋城天守木造復元のカテゴリーを追加しました。
今後は進行具合に応じてレポートしていきたいと思います。
天守の石垣に足場が組まれています。
まだまだ工事中でした。
天守の北側の堀です。
名古屋城は特別史跡なので文化庁の許可が必要です。
木造再建はまだ文化庁の許可が下りていないのでどうなるか未定です。
今後は9月に解体して、約4年をかけて木造再建する予定です。
総工費は約500憶円です。
西の丸で工事中の文化財収蔵庫です。
外観は米蔵を模しています。
あまり話題にはならずひっそりと作られています。
本丸御殿の障壁画などを収納する予定です。
小天守の入り口が閉じられています。
石垣などの調査をして平成30年9月から解体して木造による再建工事が始まります。
新たに名古屋城天守木造復元のカテゴリーを追加しました。
今後は進行具合に応じてレポートしていきたいと思います。
天守の石垣に足場が組まれています。
まだまだ工事中でした。
天守の北側の堀です。
名古屋城は特別史跡なので文化庁の許可が必要です。
木造再建はまだ文化庁の許可が下りていないのでどうなるか未定です。
今後は9月に解体して、約4年をかけて木造再建する予定です。
総工費は約500憶円です。
西の丸で工事中の文化財収蔵庫です。
外観は米蔵を模しています。
あまり話題にはならずひっそりと作られています。
本丸御殿の障壁画などを収納する予定です。
名古屋城本丸御殿復元工事の現況 5月中旬 [名古屋城本丸御殿]
仙台空港鉄道 [鉄道]
東北旅行 [四方山話]
千村氏陣屋下屋敷@岐阜県可児市 [お城踏査]
千村氏陣屋の下屋敷です。
庭園です。
春秋園といい、千村家の西荘という下屋敷です。
千村氏陣屋のすぐ北にあります。
面積は1千坪です。
宝暦6年に千村政成が作った花木園を文政11年に千村仲雄が池泉回遊式の庭園に改修、更に弘化3年に千村仲泰が修復して「春秋園十二境記」という漢詩集を編集しました。
春秋園はかつては久々利城の一郭で、土岐氏の館の西にありました。
天正10年3月に織田信長が武田氏攻めの途中に3日間逗留しました(『土岐累代記』)。
近くにあった千村氏陣屋付近の想像図です。
すぐ隣にある春秋園織部庵という食事処です。
千村代官下邸跡とあります。
木曽千村歴史館も併設しています。
木曽義仲後裔の地のようです。
怪しさいっぱいの店でした。
織部庵の庭園です。
春秋園の一部だったようです。
絵図によるとこの池は亀池。
そうすると先の池は鶴池のようです。
庭園です。
春秋園といい、千村家の西荘という下屋敷です。
千村氏陣屋のすぐ北にあります。
面積は1千坪です。
宝暦6年に千村政成が作った花木園を文政11年に千村仲雄が池泉回遊式の庭園に改修、更に弘化3年に千村仲泰が修復して「春秋園十二境記」という漢詩集を編集しました。
春秋園はかつては久々利城の一郭で、土岐氏の館の西にありました。
天正10年3月に織田信長が武田氏攻めの途中に3日間逗留しました(『土岐累代記』)。
近くにあった千村氏陣屋付近の想像図です。
すぐ隣にある春秋園織部庵という食事処です。
千村代官下邸跡とあります。
木曽千村歴史館も併設しています。
木曽義仲後裔の地のようです。
怪しさいっぱいの店でした。
織部庵の庭園です。
春秋園の一部だったようです。
絵図によるとこの池は亀池。
そうすると先の池は鶴池のようです。