高須城@岐阜県海津市 [お城踏査]

高須城を模した海津市歴史民俗資料館です。

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お城を模しています。

高須城(高須陣屋)は尾張徳川藩の支藩でした。

資料館を見ると御殿のように見えますが、海津城の御殿の一部を再現したものです。

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御書院の間の上段の間です。

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違い棚と床の間を備えた書院造りの部屋です。

障壁画は史料がないため金箔貼です。

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天井は格式の高い格天井です。

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山吹の間です。

山吹の間は北側に寝所が続く藩主の私的な書院です。

数寄屋造りの形式です。

二畳の上段と同幅の違い棚は桂離宮新御殿と同じです。

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高須城の御殿の図です。

御書院と山吹の間が並ぶ様子がわかります。

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御殿の全体図です。

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高須四兄弟の写真です。

左から松平定敬、松平容保、徳川茂栄、徳川慶勝 です。

高須藩は三万石の小藩ですが、幕末に大きな影響を与えた人物を輩出したたことで有名です。

高須藩は尾張藩の支藩ですが、家格は高く御三家や御三卿などの後継ぎがいないときに養子を出しました。

高須藩主松平義建の息子が四兄弟です。

松平定敬は桑名藩主となります。

松平容保は会津藩主となり、京都守護職として活躍しました。

徳川茂栄は高須藩11代藩主になった後に尾張藩15代藩主となります。
その後は徳川宗家の跡を継いだ徳川慶喜の跡に入り、一橋家の当主となります、

徳川慶勝は尾張徳川家を継ぎます。

このように高須藩から四人の藩主が出たことは驚きです。

桑名藩と会津藩が幕府方として活躍した背景にはこのような血縁があったのですね。

この写真は明治11年に写されたと言われます。




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