柿本城@愛知県新城市 [お城踏査]

柿本城は愛知県新城市下吉田町字柿本にあった中世城郭です。

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柿本城に行くには新城市下吉田町にある道の駅から登ります。

入口にある説明です。

吉田城は標高190mの子路山にあります。

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柿本城は永禄11年(1568)に井伊谷三人衆のひとり、鈴木重勝によって築かれました。

井伊谷三人衆は菅沼忠久、鈴木重時、近藤康用の三人です。

昨年の大河ドラマ井伊直虎にも登場するため地元のPRのため建てられたのでしょう。

顔出し看板です。

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駐車場には柿本城ののぼり旗が!

少し前には考えられなかった光景です。

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柿本城の遠景です。

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いよいよ登ります。

麓から徒歩で15分です。

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登山道にものぼりがはためいていました。

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約15分登るといよいよ山頂です。

柵列が見えてきました。

(続く)

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第35回全国城郭研究者セミナー [お城情報]

今週末にあるお城のイベントです。
今年は愛知県で開催です。


第35回全国城郭研究者セミナー
テーマ:馬出を考える―定義と分布
日 時:2018年8月4日(土)~5日(日)
場 所:豊橋市公会堂(愛知県豊橋市八町通2-22)
参加費 3000円 懇親会 5000円
内 容
4日
10:00~12:00 三河の城報告会(無料) 
「東三河の城」
高田徹氏(城郭研究者)、松田努氏(蒲郡市博物館)、豊橋市担当学芸員
(会場の完全入れ替え)
全国城郭研究者セミナー(有料)
13:40~14:25 「幡豆郡の城郭について―吉良氏と地域」奥田敏春氏(愛知中世城郭研究会)
14:25~15:10 「密集した小規模方形郭群の事例紹介と検討」遠藤啓輔氏(城郭談話会)
15:30~16:15 「米子城の発掘調査」浜野浩美氏(米子市教育委員会)
16:15~17:00 「高岡城跡詳細調査の成果について」田上和彦氏(高岡市教育委員会)
18:00~20:00 懇親会 こすたりかシティガーデン
5日
09:25~09:30 趣旨説明 山本浩之氏(中世城郭研究会)
09:30~10:00 「東海地方の馬出の分布について」石川浩治氏(西尾市教育委員会)
10:00~10:30 「越中・能登・加賀・越前・若狭・飛騨の馬出について」佐伯哲也氏(北陸城郭研究会)
10:40~11:10 「東北地方の馬出」室野秀文氏(盛岡市教育委員会)
11:10~11:40 「関東とその周辺の馬出の事例」山本浩之氏(中世城郭研究会)
11:40~13:00 昼食
13:00~13:30 「武田氏と馬出-長野県・山梨県における丸馬出のひろがり」山下孝司氏(武田氏研究会)
13:30~14:00 「近畿及び周辺の馬出について」高橋成計氏(城郭談話会)
14:20~15:50 シンポジウム 司会 木地谷了一氏(中世城郭研究会)
15:50~16:00 閉会挨拶 八巻孝夫氏(中世城郭研究会)
問合せ
中世城郭研究会
cyuujouken◎gmail.com
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長篠城 その2 [お城踏査]

長篠城の続きです。

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長篠城跡にある資料館です。

櫓風の建物です。

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資料館にある血染めの陣太鼓です。

長篠合戦で使われたと伝えられます。

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長篠城を包囲するため武田軍が築いた砦です。

久麻間砦、中山砦、鳶ケ巣山砦、姥ケ懐砦、君ケ伏床砦の5砦です。

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5砦のある山に作られた新東名高速です。

中山砦は破壊されてしまいました。

景観が台無しです。

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家老屋敷の跡です。

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弾正郭跡です。

石垣が残っています。

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林藤太夫高英屋敷跡です。

長篠城の周囲にはたくさんの石碑が建てられています。

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二の丸にある糧庫跡です。

米倉の跡です。

ここを武田軍に奪われてしまい、かなりの危機に陥りました。

(終わり)
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長篠城@愛知県新城市 [お城踏査]

長篠城は愛知県新城市にあった中世城郭です。

合併して新城市になりましたが、以前は南設楽郡鳳来町でした。

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長篠城は中世城郭としては最も有名なのではないかと思います。

天正3年(1575)の織田信長・徳川家康対武田勝頼が戦った長篠合戦の舞台となりました。

三河山間部の豪族奥平氏は武田氏と徳川氏に挟まれて生き残りを図っていました。

武田信玄が三河に攻め入ると武田氏に従いましたが、信玄が死去すると一転徳川氏に属します。

家康は奥平信昌を武田氏と徳川氏の境目の長篠城主に任命します。

その後武田勝頼は大軍を率いて長篠城を包囲します。

一度武田氏を裏切っている奥平氏は降伏することはできず、長篠城を死守しました。

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本丸跡です。

大きな碑が建ちます。

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長篠城の縄張り図です。

長篠城が武田氏の猛攻を防いだ理由は、奥平氏の奮闘もありますが、城自体の要害堅固さにあります。

宇連川と寒狭川の合流地点に築かれて二方は攻められません。

本丸を中心に三重の堀を巡らせていました。

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本丸の堀です。

巨大なうえに折れが付けられています。

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本丸の土塁です。

深い堀と高い土塁に囲まれた本丸は鉄壁の守りでした。

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現在は本丸と野牛郭の間を飯田線が通っています。

(続く)
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城郭研究セミナー [お城情報]

お城のイベントの案内です。


城郭研究セミナー
日 時:2018年8月19日(日)
場 所:日本特殊鋼市民会館(名古屋市中区金山1-5-1)
参加費 4000円
内容
「新説・関ヶ原合戦の陣跡についての史料を読む」高橋陽介氏
「信長の城の歴史的意義」千田嘉博氏(奈良大学)
問合せ
東海古城研究会
℡0561-83-7525
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研究集会「西尾の中近世石塔を読み解く」 [お城情報]

イベントの案内です。


研究集会「西尾の中近世石塔を読み解く」
日 時:2018年8月19日(日)13:30~
場 所:西尾市岩瀬文庫研修ホール(愛知県西尾市亀沢町480)
定 員 70名(予約不要)
参加費 無料
内容
「中世石塔からわかった西尾の中世寺院と武士」溝口彰啓氏(三河中近世石塔研究会・西尾市史特別執筆員)
「伊勢・関東より西尾にもたらされた近世初頭の石塔」松井一明氏(三河中近世石塔研究会・西尾市史特別執筆員)
「西尾の中近世石塔を読み解く」松井直樹氏(三河中近世石塔研究会・西尾市史執筆員)
問合せ
西尾市教育委員会文化振興課市史編さん室
℡0563-56-6660
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長篠古戦場 [歴史雑話]

長篠合戦は武田軍の敗北でしたので、武田軍の将士の墓が多くあります。

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原隼人佐昌胤の墓です。

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岡部竹雲斎と岩手左馬之助の墓です。

信玄塚の近くにあります。

武田軍の将士で馬防柵の近くで戦死したのは土屋昌次が有名ですが、多くの将士は馬防柵から離れたところで戦死しています。

武田軍は無謀にも鉄砲に馬で突っ込んでいって敗北したと思われていますが、武田氏は鉄砲も備えていてその威力もよく知っていました。

実際には矢弾を防ぐ措置をして戦っていたようです。

また当時の鉄砲は命中率は悪く、バッタバッタとなぎ倒されたのではなかったようです。

それは武田軍の墓の位置でもわかります。

実際の戦死者は武田氏が退却する際の追撃戦で多く出ています。

織田徳川軍は3万8千人、武田軍はその半分以下の1万5千人と言われます。

これだけの兵力差がありながら織田軍は6千人もの戦死者があったとも言われます。

追撃戦で武田軍は大きな被害を出しましたが、織田軍もそれなりの代償を支払っているようです。

つまりは武田軍は兵力差からみてもかなり強かったようです。

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首荒い池です。

信玄塚の近くにあります。

合戦の際に戦死者の首を洗ったと伝えられます。

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現在の首荒い池です。

回りは随分と開削されて明るい雰囲気になっています。

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山縣甚太郎昌次、山縣三郎兵衛昌景、名取又左衛門道忠、高坂又八郎宣之の墓です。

山縣昌景は武田四天王の一人、9度に及ぶ馬防柵への突撃で戦死、家来の志村又右衛門が首級を持って戦場を去りました。

山縣の赤備えは勇猛果敢な隊として恐れられ、後に井伊直政に引き継がれました。

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山縣らの墓です。

向こうの山が織田軍の陣をひいた丘陵です。

その近さと狭さに驚きです。
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信玄塚 [歴史雑話]

長篠古戦場にある信玄塚です。

合戦の戦死者を葬った塚と伝えられます。

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実際に戦ったのは信玄ではなく、息子の武田勝頼です。

しかし、勝頼よりも信玄の方が恐ろしかったのでしようね。

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信玄塚は2つあります。

こちらが大塚です。

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こちらは小塚です。

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近くにある閻魔堂です。

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その中の閻魔様です。

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長篠合戦古戦場 [歴史雑話]

天正3年(1575)の長篠合戦古戦場です。

長篠合戦とは織田信長・徳川家康と武田勝頼が戦った合戦です。

織田軍は3000丁の火縄銃で武田氏の騎馬隊を打ち破ったとされる戦いです。

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古戦場には馬防柵が再現されています。

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かつては長閑な田舎でしたが、近年新東名が通り景観が一変してしまいました。

後がその高速道路です。

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馬防柵の説明です。

織田氏と徳川氏の柵はその工法が違うと書かれていますが、そういう史料があるのでしょうか。

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柵の前に石碑が建てられています。

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武田方の武将土屋晶次は馬防柵まで取り付きましたが、そこで壮絶な戦死を遂げました。

土屋晶次が戦死した場所には石碑が建てられています。

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長篠合戦図屏風に描かれる土屋晶次の戦死の場面です。

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馬防柵です。

前田利家と塙直政が描かれます。

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織田信長の本陣です。

馬が立派です。

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武田勝頼の本陣です。

大は勝頼の旗印です。
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尼崎城天守復元 [お城踏査]

尼崎城の天守の復元工事を行っています。

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覆いでわかりにくいですが、現在外観はかなり出来ています。

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近くの図書館から見るとこんな感じです。

付櫓の形がよくわかります。

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反対側から見たところです。

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まだまだ工事中です。

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尼崎城の天守の完成予想図です。

四重の天守です。

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現在建設の場所に完成予想図を当てはめたものです。

尼崎城の天守はミドリ電機の社長が10億円の寄付をして実現しました。

近年では大洲城や駿府城のように木造で復元する本格的な復元が多い中、尼崎城は鉄筋コンクリート造りの外観復元です。

おまけにもともと天守のあった場所ではないところに作っています。

天守の方向も異なっています。

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天守のあった本丸は今は明城小学校の敷地になっています。

小学校が移転しない限りは本丸の復元は無理です。

しかし、天守のあった場所は文化財収蔵庫になっています。

文化財収蔵庫は学校を改造して利用されている古い施設です。

収蔵庫を取り壊して発掘調査をすれば堀の遺構は確認できるでしょうし、本来の城跡に天守を建てることは可能ではないかと思います。

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本来天守があった付近です。

一度別の場所に作ってしまえば、作り直すことはかなり困難でしょうが、10億円もの寄付をもらって作るために仕方ないこともあるでしょうが、もったいないですね。


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