二条陣屋 [お城踏査]
京都市中京区にある二条陣屋です。
二条城の南にあります。
一般的な意味での陣屋とは違います。
豊臣秀吉の家臣で伊予今治城主の小川土佐守祐忠は関ヶ原合戦で西軍に属して敗れ出家しました。
その子の千橘は萬屋平右衛門と名乗り、米穀商、両替商を営みました。
この二条陣屋は小川家住宅で寛文10年(1670)頃に建てられました。
二条城や京都所司代に伺候する大名の陣屋として使われました。
入り口です。
武家の陣屋にしては入り口が狭すぎます。
上の格子窓が陣屋らしいです。
外見は普通の民家みたいです。
しかし、中には隠し階段や武者隠しなどの設備がありました。
この日は時間の都合で中を見学できませんでした。
説明です。
二条城の南にあります。
一般的な意味での陣屋とは違います。
豊臣秀吉の家臣で伊予今治城主の小川土佐守祐忠は関ヶ原合戦で西軍に属して敗れ出家しました。
その子の千橘は萬屋平右衛門と名乗り、米穀商、両替商を営みました。
この二条陣屋は小川家住宅で寛文10年(1670)頃に建てられました。
二条城や京都所司代に伺候する大名の陣屋として使われました。
入り口です。
武家の陣屋にしては入り口が狭すぎます。
上の格子窓が陣屋らしいです。
外見は普通の民家みたいです。
しかし、中には隠し階段や武者隠しなどの設備がありました。
この日は時間の都合で中を見学できませんでした。
説明です。