山中城@愛知県岡崎市 [お城踏査]
山中城は愛知県岡崎市羽栗町にあった中世城郭です。
山中城の入り口です。
主郭です。
山中城は標高200mの城山にある山城です。
三河地区では最大級の大きさです。
山頂にある説明板です。
築城は西郷氏と言われます。
伝承によると大永4年(1524)に松平清康(徳川家康の祖父)が奇襲により攻め取りました。
天文17年(1548)には小豆坂合戦の際には今川氏の拠点となりました。
今川氏の文書には「医王山」の名で登場します。
永禄3年(1560)には家康の城となりました。
山中城の縄張り図です。
図を見ても大きな城であったことがわかります。
山頂には主郭と二の曲輪を中心に尾根に曲輪を伸ばしています。
さらに東曲輪から二方に伸びる尾根にも曲輪を配しています。
主郭にある石碑です。
古さを感じる石碑です。
子爵大久保忠言の筆です。
大久保氏は松平清康の山中城攻めの際軍功がありました。
堀切です。
説明板が多く設置されていてわかりやすいです。
東曲輪です。
きれいに草が刈られて整備されています。
馬出とされる曲輪です。
実際には馬出的な機能を持つ曲輪です。
山中城は見ごたえがあります。
山中城の入り口です。
主郭です。
山中城は標高200mの城山にある山城です。
三河地区では最大級の大きさです。
山頂にある説明板です。
築城は西郷氏と言われます。
伝承によると大永4年(1524)に松平清康(徳川家康の祖父)が奇襲により攻め取りました。
天文17年(1548)には小豆坂合戦の際には今川氏の拠点となりました。
今川氏の文書には「医王山」の名で登場します。
永禄3年(1560)には家康の城となりました。
山中城の縄張り図です。
図を見ても大きな城であったことがわかります。
山頂には主郭と二の曲輪を中心に尾根に曲輪を伸ばしています。
さらに東曲輪から二方に伸びる尾根にも曲輪を配しています。
主郭にある石碑です。
古さを感じる石碑です。
子爵大久保忠言の筆です。
大久保氏は松平清康の山中城攻めの際軍功がありました。
堀切です。
説明板が多く設置されていてわかりやすいです。
東曲輪です。
きれいに草が刈られて整備されています。
馬出とされる曲輪です。
実際には馬出的な機能を持つ曲輪です。
山中城は見ごたえがあります。