吉田城 その2 [お城踏査]

吉田城の続きです。

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吉田城の絵図です。

豊川を背後に輪郭式の縄張りでした。

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本丸の豊川に面した石垣です。

かなり孕んでいます。

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本丸から腰郭に降りる階段です。

かなり急階段です。

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本丸の北虎口です。

石垣がいいです。

(続く)
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吉田城@愛知県豊橋市 [お城踏査]

吉田城は愛知県豊橋市にある近世城郭です。

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本丸にある鉄櫓です。

昭和29年に鉄筋コンクリート造りで建てられた櫓です。

実際にあった櫓の形とは違う模擬復元です。

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横からです。

かつては何故か入道櫓と呼ばれていました。

望楼型の三重櫓です。

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鉄櫓の入り口です。

穴藏になっていました。

吉田城は天守がなかったと言われますが、鉄櫓は天守相当の櫓です。

本丸には4つの櫓がありましたが、穴藏があるのは鉄櫓だけです。

櫓台も大きく、織豊期(池田輝政の時代)には天守だったと思われます。

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下から眺めた鉄櫓です。

大きな石落しが特徴的です。

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川手櫓の跡です。

石垣のみ残ります。

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川手櫓の碑です。

川手櫓は豊川に面した位置にあった櫓で三重櫓です。

(続く)
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大浜陣屋@愛知県碧南市

大浜陣屋は愛知県碧南市羽根町にあった近世の陣屋です。

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今は公園として平成20年に整備されています。

大浜陣屋広場です。

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正門です。

陣屋の門を模していますが、模擬門です。

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土塀の家紋瓦です。

水野氏の家紋の沢潟です。

大浜陣屋は最終的には菊間藩の陣屋でした。

始まりは天正4年(1576)に徳川家康が築いた羽城でした。

その後、羽城址に明和5年(1768)水野忠友によって陣屋が築かれました。

沼津城の陣屋でした。

明治になると、沼津藩主水野忠敬は上総国菊間(千葉県市原市)に転封となります。

大浜陣屋は菊間藩大浜陣屋として廃藩置県を迎えました。

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陣屋の絵図です。

長方形でした。

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裏門です。

こちらも模擬です。

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陣屋跡の碑です。

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同じく碑です。

空穂をデザインしていますが、なかなかお洒落です。

菊間藩陣屋跡と書かれています。

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碧南市のマンホールです。

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西尾城シンポジウム5-近世城郭の整備と復元―西尾城・岡崎城・刈谷城 [お城情報]

今年が5回目の西尾城シンポジウムです。


西尾城シンポジウム5-近世城郭の整備と復元―西尾城・岡崎城・刈谷城
日 時 2018年12月1日(土) 13時~16時45分
場 所 西尾市文化会館(愛知県西尾市山下町泡原30)
定 員 350名(申込不要)
参加費 無料(資料実費100円)
内 容
○基調講演
「近世城郭の整備と復元について」三浦正幸氏(広島大学名誉教授)
報告
「西尾城二之丸の整備と復元」浅岡 優氏 西尾市教育委員会
「岡崎城の整備計画と復元」山口遥介氏 岡崎市教育委員会
「刈谷城の整備と復元」鵜飼堅証氏 刈谷市文化観光課
パネルディスカッション
問合せ
西尾市教育委員会文化振興課市史編さん室
℡0563-56-6660
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関西城郭サミット2018「中世山城の史跡指定を考えるーその保存と活用ー」 [お城情報]

関西城郭サミット2018「中世山城の史跡指定を考えるーその保存と活用ー」
日 時 2018年12月1日(土)~2日(日) 
場 所 ノバティながの南館3階(大阪府河内長野市本町)
参加費 1,000円
定 員 150名
内 容
1日
現地見学会
烏帽子形城・小谷城・堺砲台
2日
午前11時~午後12時 講演1「山城の史跡指定を考える」 講師 加藤理文氏(日本城郭協会理事)
午後12時40分~午後1時10分 演奏会
午後1時15分~午後1時45分 講演2「阿波-宮城の保存と活用」 講師 石井伸夫氏(徳島県立鳥居龍蔵記念博物館)
午後1時50分~午後2時20分 講演3「飯盛山城の史跡指定化への歩み」   講師 小林義孝氏(摂河泉地域文化研究所理事)
午後2時25分~午後2時55分 講演4「烏帽子形城の史跡整備と活用」  講師 尾谷雅彦氏(文化遺産保存ネットワーク河内長野)
午後3時40分~午後4時40分 座談会「山城の史跡指定を考える」   司会・コーディネート 馬部隆弘氏(大阪大谷大学講師) 
問合せ
NPO文化遺産保存ネットワーク河内長野
℡090-6903-6137
メール takoukuromaro@gmail.com

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第5 回九州城郭研究大会?佐賀2018「中世領主の本拠と城館」 [お城情報]

第5 回九州城郭研究大会?佐賀2018「中世領主の本拠と城館」

日 時 2018年12月1日(土)~2日(日) 13時~17時00分
場 所 佐賀大学本庄キャンパス(佐賀県佐賀市本庄町1)
参加費 1500円
内 容
1日
現地見学会
2日
<基調報告>
9:40~10:40(60 分) 基調講演「九州の守護・国人・領主の拠点とその形」
佐賀大学 全学教育機構 教授 宮武正登氏
10:40~10:50 休憩
<事例報告>
10:50~11:30(40 分)「肥前千葉氏の本拠 小城」 小城市文化課 古庄秀樹氏
11:30~12:10(40 分)「背振山間地域の領主と本拠」 佐賀県立名護屋城博物館 渕ノ上隆介氏
12:10~13:00(60 分)昼食
13:00~13:40(40 分)「武藤少弐氏の居館.まち場.城」 太宰府市文化財課 山村信栄氏
13:40~14:20(40 分)「15 世紀後半から16 世紀前半の本拠の様相~豊後の事例~」 大分県立歴史博物館小柳和宏氏
14:20~14:30 休憩
<シンポジウム>
14:30~14:45(15 分)・報告総括:奈良大学 文学部 教授 千田嘉博氏
14:45~16:00(75 分)・パネルディスカッション(コーディネーター:千田嘉博)
16:00~16:05 閉会挨拶
<紙上報告> 北部九州各地の事例(筑前-宗像氏・原田氏・秋月氏、肥後-相良氏、肥前-大村氏)
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大浜東照宮 [神社]

愛知県碧南市にある大浜東照宮です。

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徳川家康を祀ります。

称名寺の境内にあります。

称名寺は徳川氏にゆかりの寺院です。

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同じく称名寺の境内にある渡宋天満宮です。

松平親氏が奉納した渡宋天神像が安置されています。

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天満宮の絵馬です。

梅がデザインされています。

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称名寺 [寺院]

称名寺は愛知県碧南市にある寺院です。

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時宗東照山称名寺です。

東照山という山名からもわかるように徳川家にゆかりのある寺です。

徳川家康の幼名竹千代命名の寺と碑にあります。

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総門です。

四脚門の立派な門です。

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本堂です。

境内の広さの割りに本堂は小さめです。

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境内には徳川家の祖廟があります。

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世良田(松平)有親の墓です。

松平氏初代の松平親氏の父です。

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世良田親季の墓です。

世良田有親の父です。

親季は鎌倉公方の足利満兼から上野国新田郡得川郷の領地を与えられました。

この得川郷が徳川氏の本貫の地とされます。

親季は子の有親とともに三河に来ました。

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松平親氏の墓です。

親氏は松平氏の初代です。

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松平信忠の墓です。

信忠は松平氏6代目で徳川家康の祖父松平清康の父にあたります。

信忠は慈悲のない武将で人心が離れたので、息子の清康が安城城主を継いで信忠は大浜(碧南市)に隠居したと言われます。

それ以前から大浜は松平氏となんらかの所縁があったようです。


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永井直勝生誕地 [歴史雑話]

永井直勝生誕地です。

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永井直勝は戦国時代の武将で安城市の東端城主です。

江戸時代には古賀城主を務めました。

碧南市の宝珠寺に建てられています。

宝珠寺は東端城からは少し離れています。

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本堂です。

本堂の前に石碑が建てられています。

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東端城@愛知県安城市 [お城踏査]

東端城は愛知県安城市東端町にあった中世城郭です。

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東端城跡の一画には城山稲荷が建ちます。

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城山稲荷の石碑の片面に東端城址の碑が彫られています。

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神社の境内に東端城と城主永井直勝の碑が建てられています。

それによると東端城は天正8年(1580)に長田尚勝が築きました。

尚勝の弟長勝は家康の嫡子松平信康に仕えていたが天正7年に信康が自刃すると蟄居していたが、その後家康に仕えて名を永井伝八郎直勝に改めた。

天正12年の小牧長久手合戦に出陣して池田勝入恒興の首を取る大殊勲をあげて、兄に変わり東端城主となりました。

後に直勝は下総古河城72,000石の城主となり、寛永2年(1625)に63歳で没しました。

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東端城の土塁です。

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安城市が建てた説明です。

だいぶ年季が入っています。

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土塁跡です。

上に鳥居が建てられています。
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