駿府城の発掘調査 [発掘調査現地説明会]

静岡市の駿府城の発掘調査です。

本丸の天守台を掘っています。

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家康の築いた天守の石垣です。

石も大きいです。

家康の天守は江戸の初期に焼失してしまい、それ以来再建されませんでした。

でも天守台の大きさは61m×68mと巨大なものでした。

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ところが今回歴史的な大発見がありました。

新聞にも大きく報道されましたが、江戸時代の天守の下に中村一氏の作った天守台が見つかったのです。

上の写真がそうですが、石垣は野面積みで家康の天守よりは小さいです。

中村一氏は豊臣秀吉の家臣で、家康が天正18年(1590)に関東に移ったあとに駿府城に入りました。

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実際、言われてもどこが天守かよくわかりません。

中村氏の天守は37m×33mと家康の天守に比較すると二回りも小さいです。

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緑が家康の天守で赤が中村一氏の天守です。

大きさは歴然としていますが、位置はほぼ踏襲しています。

中村氏の駿府城は全く不明でしたが、今回の発掘で一端がわかったことは大きいです。

縄張り的には近かったのでしょうか。

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金箔瓦も大量に出土していて、中村氏の天守は金箔瓦を葺いた豪華な天守だったようです。

ただ、新聞報道では中村氏ではなく一貫して「秀吉の天守」と言っていました。

中村氏は秀吉の家臣なので大きく間違ってはいませんが、やはりミスリードですね。

中村一氏は戦国武将としては全くの無名なので有名な秀吉を使ってPRしたかったようですが、すこしあざとく感じました。

実はこの中村氏の天守台の下には天正16年に家康が築いた天守台が埋まっている可能性が高いのです。

中村一氏はたった二年前に家康が建てたほやほやの天守を取り壊してわざわざ豊臣風の天守を造り、秀吉の天下を鼓舞したのでしょうね。

実は実は家康の建てた駿府城の下には今川氏の駿府館も埋もれています。

実に駿府城の下には、今川氏館、徳川家康の駿府城(戦国期)、中村一氏の駿府城、家康の駿府城(江戸時代)と少なくとも4層の遺構が埋まっています。

今後更に解明されるとよいですね。

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駿府城の坤櫓です。

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ミニシンポジウム-いま、甦る!私部城跡 [お城情報]

11月もお城のシンポ多いですね。
私部城なんてほとんど聞いたこともないような小さなお城でもシンポです。


ミニシンポジウム-いま、甦る!私部城跡
日 時 2018年11月17日(土) 13時~16時30分
場 所 交野市役所別館三階(大阪府交野市私部2-29-1)
定 員 100名(申込要)
参加費 無料
内 容
「私部城の時代」吉田知史氏(交野市教育委員会)
「私部城を復元する」山本ゾンビ(イラストレーター)、
「都市と共存する城 烏帽子形城と私部城」小林和美氏(元河内長野市教育委員会)、
ミニシンポ
「いま、甦る!!私部城‐これからの保存と活用‐」
問合せ
交野市教育委員会社会教育課文化財係
℡072-893-8111
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