明智塚 [歴史雑話]
天正10年6月2日に本能寺の変で織田信長を倒した明智光秀は山崎合戦で羽柴秀吉に敗れ、敗走する途中の6月Ⅰ3日にこの付近で農民に襲われて重傷を負い自刃しました。
信長を倒してからわずかの間に敗北したために三日天下と呼ばれています。
京都市山科区の勧修寺の南に明智塚と場所があります。
看板もなくわかりにくいですが、来年の大河ドラマは明智光秀が主役の麒麟がきたなので、来年は賑わうのではないでしょうか。
山科区勧修寺御所内町にあります。
ここは明智光秀の胴が埋められたとも言われています。
明智光秀之塚と刻まれています。
昭和45年に建てられました。
近くの小栗栖には光秀が襲われた明智藪が残っています。
信長を倒してからわずかの間に敗北したために三日天下と呼ばれています。
京都市山科区の勧修寺の南に明智塚と場所があります。
看板もなくわかりにくいですが、来年の大河ドラマは明智光秀が主役の麒麟がきたなので、来年は賑わうのではないでしょうか。
山科区勧修寺御所内町にあります。
ここは明智光秀の胴が埋められたとも言われています。
明智光秀之塚と刻まれています。
昭和45年に建てられました。
近くの小栗栖には光秀が襲われた明智藪が残っています。
勧修寺 [寺院]
勧修寺は京都市山科区にある寺院です。
勧修寺は「かじょうじ」と読みます。
山門です。
勧修寺は真言宗山階派の大本山です。
醍醐天皇の母藤原胤子を弔うために胤子の母の実家である宮道家を寺に改めたのが始まりといわれます。
平安時代の900年に建てられました。
代々親王が入寺する門跡寺院として栄えました。
宸殿の上段之間です。
上段之間です。
書院です。
明正天皇の旧殿を賜ったものです。
書院の内部です。
重要文化財です。
床の間です。
障壁画が素晴らしいです。
京都の寺院は庭園は撮影できますが、室内は撮影禁止の寺院が多いのですが、勧修寺は撮影できます。
勧修寺燈籠です。
水戸光圀が寄進しました。
庭園にある観音堂です。
観音堂の中の観音様です。
勧修寺は「かじょうじ」と読みます。
山門です。
勧修寺は真言宗山階派の大本山です。
醍醐天皇の母藤原胤子を弔うために胤子の母の実家である宮道家を寺に改めたのが始まりといわれます。
平安時代の900年に建てられました。
代々親王が入寺する門跡寺院として栄えました。
宸殿の上段之間です。
上段之間です。
書院です。
明正天皇の旧殿を賜ったものです。
書院の内部です。
重要文化財です。
床の間です。
障壁画が素晴らしいです。
京都の寺院は庭園は撮影できますが、室内は撮影禁止の寺院が多いのですが、勧修寺は撮影できます。
勧修寺燈籠です。
水戸光圀が寄進しました。
庭園にある観音堂です。
観音堂の中の観音様です。
安祥城@愛知県安城市 [お城踏査]
安祥城は愛知県安城市安城町城堀にあった中世城郭です。
現在は寺院となっています。
小高い丘の上にあり、寺の山門が城跡ぽいです。
和田氏の城であったのを松平信光が攻め落として松平氏の城となりました。
松平清康(家康の祖父)まで松平氏の本城でした。
石碑には安祥城と書かれています。
安祥の名は江戸時代に縁起の良い名ということで付けられたようで、戦国時代には安城城と呼ばれていたようです。
安城市では安城城と正式には呼称しているようです。
ただ安祥城の名も長く地元で親しまれてきた名なのでいろいろと難しいようです。
説明です。
縄張り図の拡大図です。
浅野文庫絵図などを参考に千田嘉博氏が復元したものです。
枡形虎口や馬出があることから天正年間に改修されたとする説が有力です。
本多忠高の碑です。
安祥城は戦国時代に尾張と三河の境界にあるため織田信秀(信長の父)と松平氏(今川氏)との間で何度も争奪戦が繰り広げられました。
本多忠勝の父です。
天文18年(1549年)、安祥城の戦いで戦死しました。
碑は江戸時代に子孫の本多氏が建てました。
亀の上に乗っています。
本多忠高の父の忠豊も天文14年(1545年)、安祥城の戦いで主君の松平広忠(家康の父)を逃がすために殿となって戦死しました。
それだけ安祥城の戦いは激戦でした。
城跡に建つ大乗寺です。
大乗寺の南に神社がありますが、ここが二の丸と言われます。
ここにあるのが善寿坊の碑です。
安祥城の戦いで戦死しました。
現在は寺院となっています。
小高い丘の上にあり、寺の山門が城跡ぽいです。
和田氏の城であったのを松平信光が攻め落として松平氏の城となりました。
松平清康(家康の祖父)まで松平氏の本城でした。
石碑には安祥城と書かれています。
安祥の名は江戸時代に縁起の良い名ということで付けられたようで、戦国時代には安城城と呼ばれていたようです。
安城市では安城城と正式には呼称しているようです。
ただ安祥城の名も長く地元で親しまれてきた名なのでいろいろと難しいようです。
説明です。
縄張り図の拡大図です。
浅野文庫絵図などを参考に千田嘉博氏が復元したものです。
枡形虎口や馬出があることから天正年間に改修されたとする説が有力です。
本多忠高の碑です。
安祥城は戦国時代に尾張と三河の境界にあるため織田信秀(信長の父)と松平氏(今川氏)との間で何度も争奪戦が繰り広げられました。
本多忠勝の父です。
天文18年(1549年)、安祥城の戦いで戦死しました。
碑は江戸時代に子孫の本多氏が建てました。
亀の上に乗っています。
本多忠高の父の忠豊も天文14年(1545年)、安祥城の戦いで主君の松平広忠(家康の父)を逃がすために殿となって戦死しました。
それだけ安祥城の戦いは激戦でした。
城跡に建つ大乗寺です。
大乗寺の南に神社がありますが、ここが二の丸と言われます。
ここにあるのが善寿坊の碑です。
安祥城の戦いで戦死しました。
史跡犬山城跡指定記念シンポジウム [お城情報]
史跡犬山城跡指定記念シンポジウム
日 時 2019年2月9日(土) 14時~16時30分
場 所 犬山国際観光センターフロイデ(愛知県犬山市松本町4-21)
定 員 250名(申込要)
参加費 無料
内 容
基調講演
麓和善氏(名古屋工業大学教授)
座談会
麓和善氏(名古屋工業大学大学院 教授)
高瀬要一氏((元)奈良文化財研究所 文化遺産部長)
山村亜希氏(京都大学大学院 准教授)
コーディネーター
赤塚次郎氏(古代邇波の里・文化遺産ネットワーク理事長)
問合せ
犬山市歴史まちづくり課
℡0568-44-0354
日 時 2019年2月9日(土) 14時~16時30分
場 所 犬山国際観光センターフロイデ(愛知県犬山市松本町4-21)
定 員 250名(申込要)
参加費 無料
内 容
基調講演
麓和善氏(名古屋工業大学教授)
座談会
麓和善氏(名古屋工業大学大学院 教授)
高瀬要一氏((元)奈良文化財研究所 文化遺産部長)
山村亜希氏(京都大学大学院 准教授)
コーディネーター
赤塚次郎氏(古代邇波の里・文化遺産ネットワーク理事長)
問合せ
犬山市歴史まちづくり課
℡0568-44-0354
本郷城@愛知県岡崎市 [お城踏査]
大泉寺 [寺院]
国際研究集会「合戦のイメージ形成から実像を考える」 [お城情報]
国際研究集会「合戦のイメージ形成から実像を考える」
日 時 2019年1月26日(土) 12時~17時30分
場 所 東京大学弥生講堂(東京都文京区本郷)
定 員 300名(申込不要)
参加費 無料
内 容
12:00 開場
12:30 開会挨拶・趣旨説明
<第Ⅰ部 軍記の成立>
12:40 林晃弘氏(東京大学史料編纂所)
「『東西合軍記』と『慶長治乱記』」
13:10 湯浅佳子氏(東京学芸大学)
「関ケ原合戦軍記本文の生成-牛一・林家から『慶長軍記』へ-」
13:40 金子拓氏(東京?学史料編纂所)
「武功書上・家譜と『地域的軍記』の成立―大坂の陣における佐竹氏の場合―」
<第2部 合戦図の展開>
14:25 金時徳氏(ソウル大学校)
「『絵本太閤記』の挿絵と朝鮮の絵画」
14:55 川合康氏(大阪大学)
「山内俊綱の「討死」をめぐる諸問題―『平治物語』『平治物語絵巻』『平治合戦図屏
風』との関連から―」
15:25 米田結華氏(金沢大学)
「「大坂夏の陣図屏風」を読む-掠奪と殺戮の絵画世界-」
<第3部 合戦のイメージ形成>
16:10 パネルディスカッション、質疑応答(司会:井上泰至氏・山本聡美氏)
17:20 閉会挨拶(堀新氏)
17:30 終了
問合せ
東京大学史料編纂所
日 時 2019年1月26日(土) 12時~17時30分
場 所 東京大学弥生講堂(東京都文京区本郷)
定 員 300名(申込不要)
参加費 無料
内 容
12:00 開場
12:30 開会挨拶・趣旨説明
<第Ⅰ部 軍記の成立>
12:40 林晃弘氏(東京大学史料編纂所)
「『東西合軍記』と『慶長治乱記』」
13:10 湯浅佳子氏(東京学芸大学)
「関ケ原合戦軍記本文の生成-牛一・林家から『慶長軍記』へ-」
13:40 金子拓氏(東京?学史料編纂所)
「武功書上・家譜と『地域的軍記』の成立―大坂の陣における佐竹氏の場合―」
<第2部 合戦図の展開>
14:25 金時徳氏(ソウル大学校)
「『絵本太閤記』の挿絵と朝鮮の絵画」
14:55 川合康氏(大阪大学)
「山内俊綱の「討死」をめぐる諸問題―『平治物語』『平治物語絵巻』『平治合戦図屏
風』との関連から―」
15:25 米田結華氏(金沢大学)
「「大坂夏の陣図屏風」を読む-掠奪と殺戮の絵画世界-」
<第3部 合戦のイメージ形成>
16:10 パネルディスカッション、質疑応答(司会:井上泰至氏・山本聡美氏)
17:20 閉会挨拶(堀新氏)
17:30 終了
問合せ
東京大学史料編纂所
シンポジウム「発掘調査にみる丸馬出・三日月堀」 [お城情報]
シンポジウム「発掘調査にみる丸馬出・三日月堀」
日 時 2019年1月26日(土) 13時~17時30分
場 所 帝京大学文化財研究所(山梨県笛吹市石和町)
定 員 80名(申込不要)
参加費 500円
内 容
「新府城の三日月堀・丸馬出の発掘調査」閏間俊明氏(韮崎市教育委員会)
「松代城跡の発掘調査と三日月堀」宿野隆史氏(長野市教育委員会)
「諏訪原城跡の発掘調査の現状」萩原佳保里氏(島田市教育委員会)
パネルディスカッション
コーディネーター
萩原三雄氏(帝京大学文化財研究所)
問合せ
武田氏研究会
℡055-263-6441
日 時 2019年1月26日(土) 13時~17時30分
場 所 帝京大学文化財研究所(山梨県笛吹市石和町)
定 員 80名(申込不要)
参加費 500円
内 容
「新府城の三日月堀・丸馬出の発掘調査」閏間俊明氏(韮崎市教育委員会)
「松代城跡の発掘調査と三日月堀」宿野隆史氏(長野市教育委員会)
「諏訪原城跡の発掘調査の現状」萩原佳保里氏(島田市教育委員会)
パネルディスカッション
コーディネーター
萩原三雄氏(帝京大学文化財研究所)
問合せ
武田氏研究会
℡055-263-6441