安祥城@愛知県安城市 [お城踏査]

安祥城は愛知県安城市安城町城堀にあった中世城郭です。

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現在は寺院となっています。

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小高い丘の上にあり、寺の山門が城跡ぽいです。

和田氏の城であったのを松平信光が攻め落として松平氏の城となりました。

松平清康(家康の祖父)まで松平氏の本城でした。

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石碑には安祥城と書かれています。

安祥の名は江戸時代に縁起の良い名ということで付けられたようで、戦国時代には安城城と呼ばれていたようです。

安城市では安城城と正式には呼称しているようです。

ただ安祥城の名も長く地元で親しまれてきた名なのでいろいろと難しいようです。

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説明です。

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縄張り図の拡大図です。

浅野文庫絵図などを参考に千田嘉博氏が復元したものです。

枡形虎口や馬出があることから天正年間に改修されたとする説が有力です。

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本多忠高の碑です。

安祥城は戦国時代に尾張と三河の境界にあるため織田信秀(信長の父)と松平氏(今川氏)との間で何度も争奪戦が繰り広げられました。

本多忠勝の父です。

天文18年(1549年)、安祥城の戦いで戦死しました。

碑は江戸時代に子孫の本多氏が建てました。

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亀の上に乗っています。

本多忠高の父の忠豊も天文14年(1545年)、安祥城の戦いで主君の松平広忠(家康の父)を逃がすために殿となって戦死しました。

それだけ安祥城の戦いは激戦でした。

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城跡に建つ大乗寺です。

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大乗寺の南に神社がありますが、ここが二の丸と言われます。

ここにあるのが善寿坊の碑です。

安祥城の戦いで戦死しました。



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