村木砦@愛知県知多郡東浦町 [お城踏査]
村木砦は愛知県知多郡東浦町森岡取手にあった中世城郭です。
砦跡の遠景です。
神社の境内になっています。
境内の様子です。
八剣神社の境内です。
立派な石碑が建てられています。
すぐ近くにJRが走っています。
幟旗もあります。
村木砦は小さな砦で遺構も残っていないのにこれほど石碑や説明があるのは、この砦を織田信長が攻めているからです。
天文20年(1551)に織田信秀の死と共に今川氏は尾張への侵攻を進めます。
重原城(知立市)を拠点として、尾張の中に村木砦を造り、松平義春を城将としました。
織田信長は天文23年1月22日に強風の中熱田から渡海して、翌日緒川城に入り、24日朝から織田・水野両軍で村木砦を猛攻します。
深い堀を乗り越えて進み、信長自ら火縄銃を手に取り銃眼を狙い猛攻しました。
今川軍は夕方に降伏しました。
無理攻めをしたため、信長の旗本である若武者が多く戦死するほどでした。
村木砦の想定図です。
船着き場があり、大手は海に面した部分でした。
付近の地図です。
砦の中央を線路が縦断しています。
神社の隣に一段小高い宅地があります。
もしかすると主郭の跡でしょうか。
住所表示は森岡取手です。
地名に歴史を感じます。
砦跡の遠景です。
神社の境内になっています。
境内の様子です。
八剣神社の境内です。
立派な石碑が建てられています。
すぐ近くにJRが走っています。
幟旗もあります。
村木砦は小さな砦で遺構も残っていないのにこれほど石碑や説明があるのは、この砦を織田信長が攻めているからです。
天文20年(1551)に織田信秀の死と共に今川氏は尾張への侵攻を進めます。
重原城(知立市)を拠点として、尾張の中に村木砦を造り、松平義春を城将としました。
織田信長は天文23年1月22日に強風の中熱田から渡海して、翌日緒川城に入り、24日朝から織田・水野両軍で村木砦を猛攻します。
深い堀を乗り越えて進み、信長自ら火縄銃を手に取り銃眼を狙い猛攻しました。
今川軍は夕方に降伏しました。
無理攻めをしたため、信長の旗本である若武者が多く戦死するほどでした。
村木砦の想定図です。
船着き場があり、大手は海に面した部分でした。
付近の地図です。
砦の中央を線路が縦断しています。
神社の隣に一段小高い宅地があります。
もしかすると主郭の跡でしょうか。
住所表示は森岡取手です。
地名に歴史を感じます。