津城 その3 [お城踏査]
津城の続きです。
説明です。
津城は織田信長の弟信包により築城されました。
天正8年には五重の天守が完成しました。
慶長13年(1608)藤堂高虎が今治から移り、城を大改修しました。
津城の縄張り図です。
本丸を中心とした輪郭式の縄張りです。
本丸に2つの馬出が付いています。
本丸の虎口です。
天守台です。
天守は残っていません。
天守の入り口は口を開けていますが、そこまでのルートがありません。
天守台は穴藏でした。
天守台の石垣です。
算木積みになっています。
(続く)
説明です。
津城は織田信長の弟信包により築城されました。
天正8年には五重の天守が完成しました。
慶長13年(1608)藤堂高虎が今治から移り、城を大改修しました。
津城の縄張り図です。
本丸を中心とした輪郭式の縄張りです。
本丸に2つの馬出が付いています。
本丸の虎口です。
天守台です。
天守は残っていません。
天守の入り口は口を開けていますが、そこまでのルートがありません。
天守台は穴藏でした。
天守台の石垣です。
算木積みになっています。
(続く)
津城 その2 [お城踏査]
松ケ島城@三重県松阪市 [お城踏査]
松ケ島城は三重県松阪市にありました。
田の中に天守台と伝わる土盛が残るのみです。
石碑です。
三重県の史跡です。
説明です。
天正8年(1580)織田信長の次男信雄は田丸城から松ケ島城に移して、五重の天守を持つ城を築きました。
天正12年に蒲生氏郷が12万石で入ると、新たに松坂城を築いて移り、松ケ島城は廃城になり、元の一寒村に戻りました。
絵図や検地帳には天主跡、堀之内、丸の内、城の内、日の丸という城館関連地名や、殿町、本町、西町、紙屋町、ほうく町、鍛冶町という町名があり、往時を偲ばせます。
城跡付近の図てす。
当時を偲ぶことが出来ます。
僅かに残る堀跡です。
本丸付近です。
天守台の付近がわずかに残るのみです。
城跡への案内もなく、田の中なのでとてもわかりにくい場所です。
田の中に天守台と伝わる土盛が残るのみです。
石碑です。
三重県の史跡です。
説明です。
天正8年(1580)織田信長の次男信雄は田丸城から松ケ島城に移して、五重の天守を持つ城を築きました。
天正12年に蒲生氏郷が12万石で入ると、新たに松坂城を築いて移り、松ケ島城は廃城になり、元の一寒村に戻りました。
絵図や検地帳には天主跡、堀之内、丸の内、城の内、日の丸という城館関連地名や、殿町、本町、西町、紙屋町、ほうく町、鍛冶町という町名があり、往時を偲ばせます。
城跡付近の図てす。
当時を偲ぶことが出来ます。
僅かに残る堀跡です。
本丸付近です。
天守台の付近がわずかに残るのみです。
城跡への案内もなく、田の中なのでとてもわかりにくい場所です。
大河内城 その2 [お城踏査]
大河内城@三重県松阪市 [お城踏査]
松坂城の移築門 [移築城門]
松ケ島城の城門 [移築城門]
慶光院 [寺院]
伊勢市の慶光院です。
臨済宗の寺院でしたが、現在は神宮庁の管轄で神宮祭主職舎として使われています。
普段は非公開ですが、時々公開しています。
門は薬医門でシャチが乗っています。
玄関の車寄せです。
唐破風の立派な門です。
客殿と車寄です。
客殿の特別公開です。
客殿は慶長年間に豊臣秀吉により建てられたとも伝えられています。
重要文化財です。
客殿内は撮影禁止なので写真はありません。
書院は鍵上段になっていて、上上段の間まである格式高い書院です。
鍵上段は、聚楽第の大広間に採用された間取りで、現存するものは他に西本願寺の白書院や仙台の瑞厳寺などわずかです。
熊本城の本丸御殿にも復元されたものがあります。
臨済宗の寺院でしたが、現在は神宮庁の管轄で神宮祭主職舎として使われています。
普段は非公開ですが、時々公開しています。
門は薬医門でシャチが乗っています。
玄関の車寄せです。
唐破風の立派な門です。
客殿と車寄です。
客殿の特別公開です。
客殿は慶長年間に豊臣秀吉により建てられたとも伝えられています。
重要文化財です。
客殿内は撮影禁止なので写真はありません。
書院は鍵上段になっていて、上上段の間まである格式高い書院です。
鍵上段は、聚楽第の大広間に採用された間取りで、現存するものは他に西本願寺の白書院や仙台の瑞厳寺などわずかです。
熊本城の本丸御殿にも復元されたものがあります。