詩仙堂 [寺院]
京都市左京区一乗寺にある詩仙堂です。
入り口です。
詩仙堂は江戸時代の文人石川丈山の居宅を寺院としたものです。
石川丈山はもともとは徳川家康に仕えた三河武士でした。
後に隠遁生活を送り京都で暮らしました。
今では秋には紅葉の名所として多くの観光客でにぎわっています。
庭園も居宅も素晴らしいです。
入り口です。
詩仙堂は江戸時代の文人石川丈山の居宅を寺院としたものです。
石川丈山はもともとは徳川家康に仕えた三河武士でした。
後に隠遁生活を送り京都で暮らしました。
今では秋には紅葉の名所として多くの観光客でにぎわっています。
庭園も居宅も素晴らしいです。
勝軍山城@京都市左京区 [お城踏査]
勝軍山城は京都市左京区一乗寺にあった中世城郭です。
狸谷山不動院の裏山に当たります。
標高は300mですが、不動院からの比高は130mです。
北白川城ともいいます。
勝軍地蔵です。
城の名の由来です。
永正17年(1520)に細川高国がこの山に陣を敷いて、戦勝を祈念して勝軍地蔵を勧請したことによります。
天文15年(1546)将軍足利義晴が再びこの城を改修して籠りました。
将軍山城とも言うのは足利義晴が使ったためでしょうか。
元亀元年(1570)に比叡山に籠城した浅井・朝倉軍に対峙した明智光秀が陣を敷きました。
このように勝軍山城は京都と近江を結ぶ要衝の地にあるため何度も使用されています。
勝軍地蔵の石室です。
説明です。
勝軍山城はかなりの大きさですが、山城なので石垣もなく土塁と堀なので写真を撮ってもつたわりませ
狸谷山不動院の裏山に当たります。
標高は300mですが、不動院からの比高は130mです。
北白川城ともいいます。
勝軍地蔵です。
城の名の由来です。
永正17年(1520)に細川高国がこの山に陣を敷いて、戦勝を祈念して勝軍地蔵を勧請したことによります。
天文15年(1546)将軍足利義晴が再びこの城を改修して籠りました。
将軍山城とも言うのは足利義晴が使ったためでしょうか。
元亀元年(1570)に比叡山に籠城した浅井・朝倉軍に対峙した明智光秀が陣を敷きました。
このように勝軍山城は京都と近江を結ぶ要衝の地にあるため何度も使用されています。
勝軍地蔵の石室です。
説明です。
勝軍山城はかなりの大きさですが、山城なので石垣もなく土塁と堀なので写真を撮ってもつたわりませ
狸谷山不動院 続き [寺院]
狸谷山不動院の続きです。
長い階段を登ります。
階段を登り切ると目の前には驚きの光景が広がります。
そこには清水寺がありました。
いや、清水寺ではありません。
第二の清水寺と呼ばれている不動院の懸け造りの本堂です。
思わず見とれてしまいます。
下から見上げた懸け造りです。
京都の有名スポットの一乗寺にありながら、これだけ壮大な伽藍でありながら観光客は驚くほど少ないです。
京都の観光ガイドブックにもほとんど載っていません。
そこそこの山奥にあることとや建物が建てられたのが昭和ということを割り引いても不思議です。
不動明王の瀧です。
詩仙堂や一乗寺から歩いてもそれほど遠くないので、一度参詣することをお薦めてします。
長い階段を登ります。
階段を登り切ると目の前には驚きの光景が広がります。
そこには清水寺がありました。
いや、清水寺ではありません。
第二の清水寺と呼ばれている不動院の懸け造りの本堂です。
思わず見とれてしまいます。
下から見上げた懸け造りです。
京都の有名スポットの一乗寺にありながら、これだけ壮大な伽藍でありながら観光客は驚くほど少ないです。
京都の観光ガイドブックにもほとんど載っていません。
そこそこの山奥にあることとや建物が建てられたのが昭和ということを割り引いても不思議です。
不動明王の瀧です。
詩仙堂や一乗寺から歩いてもそれほど遠くないので、一度参詣することをお薦めてします。
狸谷山不動院 [寺院]
愛知中世城郭研究会例会 [お城情報]
愛知中世城郭研究会例会
日時 2019年9月23日(月祝) 午後2時00分
場所 岡崎市羽根東町民館(岡崎市羽根町) JR岡崎駅北300m
内容
「幡豆郡の中世城館」奥田敏春
「知立古城について」中川貴晧 (知立市教育委員会)
会費 500円
会員以外の参加も歓迎します
日時 2019年9月23日(月祝) 午後2時00分
場所 岡崎市羽根東町民館(岡崎市羽根町) JR岡崎駅北300m
内容
「幡豆郡の中世城館」奥田敏春
「知立古城について」中川貴晧 (知立市教育委員会)
会費 500円
会員以外の参加も歓迎します