津城@三重県津市 [お城踏査]

津城は三重県津市にある近世城郭です。

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本丸の石垣と堀です。

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かつては石垣の上に三重櫓と多聞櫓がありました。

今は石垣のみです。

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櫓台石垣です。

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石垣の矢穴です。

(続く)
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松ケ島城@三重県松阪市 [お城踏査]

松ケ島城は三重県松阪市にありました。

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田の中に天守台と伝わる土盛が残るのみです。

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石碑です。

三重県の史跡です。

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説明です。

天正8年(1580)織田信長の次男信雄は田丸城から松ケ島城に移して、五重の天守を持つ城を築きました。

天正12年に蒲生氏郷が12万石で入ると、新たに松坂城を築いて移り、松ケ島城は廃城になり、元の一寒村に戻りました。

絵図や検地帳には天主跡、堀之内、丸の内、城の内、日の丸という城館関連地名や、殿町、本町、西町、紙屋町、ほうく町、鍛冶町という町名があり、往時を偲ばせます。

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城跡付近の図てす。

当時を偲ぶことが出来ます。

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僅かに残る堀跡です。

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本丸付近です。

天守台の付近がわずかに残るのみです。

城跡への案内もなく、田の中なのでとてもわかりにくい場所です。
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大河内城 その2 [お城踏査]

大河内城の続きです。

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主郭の神社です。

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石垣ですが、当時の物でしょうか。

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主郭にある説明板です。

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石碑です。

昭和12年に建てられました。

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測量図です。

標高110mの山に築かれています。

七尾七谷といわれる複雑な地形であり、要害の地でした。

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西の丸へ続く尾根と堀切です。

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マムシ谷と西の丸です。

マムシ谷は織田信長に攻められた激戦地です。

七尾七谷といわれた谷のひとつです。

マムシの居そうな谷です。

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西の丸です。

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西の丸の現況です。

神社が鎮座します。

(終わり)
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大河内城@三重県松阪市 [お城踏査]

大河内城は三重県松阪市にあった中世城郭です。

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山麓にある説明看板です。

簡易な図面ですが、よく特徴を捉えています。

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大河内城の遠景です。

寺院の裏山です。

それほど高い山でありません。

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登り口の案内です。

説明は多いです。

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説明です。

大河内城は北畠氏の城です。

永禄12年に織田信長に攻められて1月間籠城戦を行いましたが、開城しました。

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搦め手門跡です。

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馬場跡です。

説明の碑は各所に建てられています。

(続く)
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古渡城@愛知県名古屋市 [お城踏査]

古渡城は愛知県名古屋市中区にあった中世城郭です。

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東別院の境内の一画に石碑が建つのみです。

石碑は大正7年に建てられました。

古渡城は天文11年頃に織田信秀が築きました。

信秀は織田信長の父です。

城は東西140m、南北100mの平城で二重堀だったと言われます。

天文17年に信秀は末森城を築いて移り廃城となりました。

たった6年程度の寿命の城館でした。

信長はこの城で元服したと言われます。

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東別院です。

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東別院に残る太鼓楼です。

浄土真宗の寺院には鐘楼の他に太鼓楼がある寺があります。

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東門です。

高麗門です。

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田丸城 その3 [お城踏査]

田丸城の続きです。

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本丸の石垣です。

隅石は算木を指向しています。

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門の石垣です。

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北の丸です。

神社があります。

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富士見門です。

田丸城の三の丸の門ですが、明治に民家に移築されました。

昭和59年に町が譲り受けて城跡に移築しました。

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元は長屋門でしたが、移築の際に今の形になりました。

屋根は桟瓦葺きで、片方が入母屋になっています。

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門扉です。

しっかりした造りです。

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屋根瓦です。

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蓮池跡です。

(終わり)
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田丸城 その2 [お城踏査]

田丸城の続きです。

田丸城は戦国時代田丸氏の城でした。

織田信長の子信雄が天正3年に入ると石垣の城として改修されて天守も作られました。

小牧長久手合戦の後は蒲生氏郷の家臣が入りました。

江戸初期には稲葉氏などが入りましたが、後に紀州藩の支配となりました。

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石垣がスゴイです。

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本丸下です。

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本丸下門です。

礎石が残っています。

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本丸です。

奥は天守台です。

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天守台の入り口です。

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天守台の内部です。

穴藏になっていました。

織田氏の作った天守は安土城など穴藏のある天守台が多いです。

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草が茂っていてわかりにくいですが、天守台から本丸です。

(続く)
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田丸城@三重県 [お城踏査]

田丸城は三重県玉城町にあった近世城郭です。

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石碑です。

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田丸城の模型。

田丸城の前にある資料館にあります。

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田丸城の天守の模型です。

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田丸城の絵図です。

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資料館に移築されている田丸城の御殿です。

民家に移築されていたので外観は民家です。

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いよいよ田丸城に登城します。

(続く)
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長篠合戦織田信長本陣 [お城踏査]

長篠合戦の織田信長本陣です。

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愛知県新城市にあります。

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第二東名の長篠サービスエリア(下り)から歩いて行けます。

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茶臼山という山にあります。

別名茶臼山本陣。

一段高いところに神社があります。

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長篠合戦は織田信長・徳川家康連合軍と武田勝頼が天正3年(1575)に戦いました。

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信長の本陣は最前線からはかなりの後方にあります。

家康の陣の弾正山はかなりの前線です。

それだけ信長が武田軍を恐れていたのでしょうか。

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山頂には信長の歌碑もあります。

かつてはほとんど訪ねる人もいなかった信長本陣ですが、今では長篠合戦の陣跡の史跡の中では一番訪ねる人が多い場所になりました。
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大通寺陣所 [お城踏査]

長篠合戦時の武田軍の陣です。

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大通寺という寺院の裏山が陣所です。

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ここは馬場信房の陣所と言われます。

決戦の前日に馬場信房は武田勝頼に決戦を避けるように進言しましたが、勝頼は聞き入れませんでした。

この日の軍議を嘆き、こうなった以上は明日は一命を賭して戦うだけとして、明日は最後の一戦となろうと旧友を謝し、明日の奮戦を誓いました。

そのため、前日は馬場信房は、内藤昌豊、山県昌景、土屋昌次らを呼んで水杯を交わしたと言われます。

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大通寺の裏のその水杯をしたという泉が残されています。

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裏山は陣所跡ですが、ほとんど自然地形です。
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