仙台城 その2 [お城踏査]
仙台城の続きです。
大手門脇の石垣です。
この隣に大手門がありました。
大手門跡の説明です。
大手門の古写真です。
高さ12mの日本最大級の櫓門でしたが、昭和20年の仙台空襲で脇櫓と共に焼失してしまいました。
名護屋城の大手門を移築したとも伝えられます。
大手門付近の古写真です。
大手門と脇櫓や御殿の建物が写ります。
現在の大手門跡付近です。
市道仙台城跡線が通っていて、現在も交通量がかなり多いです。
大手門を復元するという話題は何度も出ていますが、一番のネックはこの道路が通っていることで、代替の道路を作らない限りは不可能です。
古写真や測量図が残り、正確な復元が可能なだけに、何とか復元できると良いですね。
大手門脇の石碑です。
支倉常長の像です。
支倉常長は慶長18年(1613)伊達政宗の命で遣欧使節としてヨーロッパに渡り、ローマ教皇に謁見しました。
しかし、その後日本国内ではキリスト教が禁教となり、元和6年(1620)に帰国するも2年後に失意のうちに死去しました。
大手門脇の石垣と土塀です。
土塀は復元です。
土塀と脇櫓です。
土塀の内側です。
L字形に復元されています。
大手門脇の石垣です。
この隣に大手門がありました。
大手門跡の説明です。
大手門の古写真です。
高さ12mの日本最大級の櫓門でしたが、昭和20年の仙台空襲で脇櫓と共に焼失してしまいました。
名護屋城の大手門を移築したとも伝えられます。
大手門付近の古写真です。
大手門と脇櫓や御殿の建物が写ります。
現在の大手門跡付近です。
市道仙台城跡線が通っていて、現在も交通量がかなり多いです。
大手門を復元するという話題は何度も出ていますが、一番のネックはこの道路が通っていることで、代替の道路を作らない限りは不可能です。
古写真や測量図が残り、正確な復元が可能なだけに、何とか復元できると良いですね。
大手門脇の石碑です。
支倉常長の像です。
支倉常長は慶長18年(1613)伊達政宗の命で遣欧使節としてヨーロッパに渡り、ローマ教皇に謁見しました。
しかし、その後日本国内ではキリスト教が禁教となり、元和6年(1620)に帰国するも2年後に失意のうちに死去しました。
大手門脇の石垣と土塀です。
土塀は復元です。
土塀と脇櫓です。
土塀の内側です。
L字形に復元されています。
2018-05-16 21:24
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コメント(2)
昨夜は暑くて、寝苦しかったですね。
夏みたい!^^;
by hatumi30331 (2018-05-17 05:09)
石垣、きっちりと反りあがってますね。
もう「夏」ですよ。扇風機出しました。
by 夏炉冬扇 (2018-05-17 19:09)