二俣城@静岡県浜松市天竜区 [お城踏査]
二俣城は静岡県浜松市天竜区にあった中世城郭です。
石碑です。
二俣城は小高い丘にありますが、山頂付近まで車で登れます。
説明です。
天竜川と二俣川が合流する天然の要害に築かれています。
元亀3年(1572)に武田信玄に攻められて落城します。
要害でしたが、水が不足していて天竜川から水を汲み上げていました。
城跡の近くに水を汲み上げていた井戸櫓が復元されています。
武田信玄は天竜川にいかだを流して井戸櫓にぶつけて破壊しました。
そのため城兵は水を汲み上げることができずに、水不足になり落城しました。
その後武田信玄の死後徳川家康は取り返しました。
天正7年(1579)には織田信長の嫌疑を受けた家康の長男信康はこの城で自刃しました。
天正18年に小田原合戦後に家康が関東に移ると、浜松城に堀尾吉晴が入ります。
二俣城は浜松城の支城となりました。
天守台です。
天守台は堀尾氏によって築かれました。
天守台の登り口です。
天守は付櫓があり、そこから登るようになっていました。
構造は浜松城と似ています。
石垣は野面積みです。
二俣城の見取り図です。
本丸を中心に二の丸、北曲輪、西曲輪、蔵屋敷などがありました。
本丸と北曲輪の間の堀切です。
橋は後世の物です。
本丸の虎口です。
少し曲がっていてまっすぐ入れなくなっています。
本丸の南の堀切です。
埋まって浅くなっています。
本丸の南の虎口です。
石垣で固められています。
石垣はほとんどが堀尾氏によって作られたと思われます。
天竜のマンホールです。
石碑です。
二俣城は小高い丘にありますが、山頂付近まで車で登れます。
説明です。
天竜川と二俣川が合流する天然の要害に築かれています。
元亀3年(1572)に武田信玄に攻められて落城します。
要害でしたが、水が不足していて天竜川から水を汲み上げていました。
城跡の近くに水を汲み上げていた井戸櫓が復元されています。
武田信玄は天竜川にいかだを流して井戸櫓にぶつけて破壊しました。
そのため城兵は水を汲み上げることができずに、水不足になり落城しました。
その後武田信玄の死後徳川家康は取り返しました。
天正7年(1579)には織田信長の嫌疑を受けた家康の長男信康はこの城で自刃しました。
天正18年に小田原合戦後に家康が関東に移ると、浜松城に堀尾吉晴が入ります。
二俣城は浜松城の支城となりました。
天守台です。
天守台は堀尾氏によって築かれました。
天守台の登り口です。
天守は付櫓があり、そこから登るようになっていました。
構造は浜松城と似ています。
石垣は野面積みです。
二俣城の見取り図です。
本丸を中心に二の丸、北曲輪、西曲輪、蔵屋敷などがありました。
本丸と北曲輪の間の堀切です。
橋は後世の物です。
本丸の虎口です。
少し曲がっていてまっすぐ入れなくなっています。
本丸の南の堀切です。
埋まって浅くなっています。
本丸の南の虎口です。
石垣で固められています。
石垣はほとんどが堀尾氏によって作られたと思われます。
天竜のマンホールです。
2018-11-16 21:26
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コメント(1)
石垣の古び具合がいいです。
by 夏炉冬扇 (2018-11-17 08:09)