金山城@岐阜県可児市 [お城踏査]
金山城は岐阜県可児市にあった中世城郭です。
標高277mの古城山にあります。
石碑です。
金山城は犬山城の天守が移築された元の城としても有名です。
移築説は現在は否定されています。
かつては天守の穴蔵と言われていた石垣です。
今は本丸の虎口と推定されています。
本丸の測量図です。
天守跡や御殿もあったようです。
石垣が多用されています。
本丸の石垣です。
野面積みです。
説明です。
戦国時代には森一族が城主となりました。
初めは森可成が城主となりました。
森氏は織田信長、豊臣秀吉に仕えましたが、戦死者が非常な多い悲運の一族です。
可成は宇佐山城の戦いで戦死、長男の可隆は手筒山城の戦いで戦死、弟の蘭丸、力丸、坊丸の三兄弟は本能寺の変で戦死します。
跡をついで森長可は小牧長久手合戦で戦死。
最後は六男の忠政が跡を継ぎます。
一族の男子で6人も戦死しています。
信長、秀吉といういわゆる勝ち馬に乗りながらここまでの戦死者を出すのは異常です。
悲運の森一族です。
大手門の桝形です。
標高277mの古城山にあります。
石碑です。
金山城は犬山城の天守が移築された元の城としても有名です。
移築説は現在は否定されています。
かつては天守の穴蔵と言われていた石垣です。
今は本丸の虎口と推定されています。
本丸の測量図です。
天守跡や御殿もあったようです。
石垣が多用されています。
本丸の石垣です。
野面積みです。
説明です。
戦国時代には森一族が城主となりました。
初めは森可成が城主となりました。
森氏は織田信長、豊臣秀吉に仕えましたが、戦死者が非常な多い悲運の一族です。
可成は宇佐山城の戦いで戦死、長男の可隆は手筒山城の戦いで戦死、弟の蘭丸、力丸、坊丸の三兄弟は本能寺の変で戦死します。
跡をついで森長可は小牧長久手合戦で戦死。
最後は六男の忠政が跡を継ぎます。
一族の男子で6人も戦死しています。
信長、秀吉といういわゆる勝ち馬に乗りながらここまでの戦死者を出すのは異常です。
悲運の森一族です。
大手門の桝形です。
2018-05-05 11:25
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コメント(2)
金はでない山だったのでしょうか。
by 夏炉冬扇 (2018-05-05 18:26)
連休も後1日。
明日は、お疲れの人は、ゆっくりしなきゃね。^^
by hatumi30331 (2018-05-06 00:10)