新城城@愛知県新城市 [お城踏査]
新城城は愛知県新城市西入船にあった近世城郭です。
新城城の城門ではありません。
城跡に建つ新城小学校なので校門です。
城を意識した作りです。
新城市の名の発祥地です。
新城城の石碑です。
土塁です。
新城城はほとんどが小学校の敷地となり、土塁と堀がわずかに残るのみです。
新城城の復元図です。
新城城は天正4年(1576)に奥平信昌が長篠合戦の戦功により長篠城にかわり築城しました。
長篠城に対して新しい城ということで新城と名付けられたといわれます。
新城城の城門ではありません。
城跡に建つ新城小学校なので校門です。
城を意識した作りです。
新城市の名の発祥地です。
新城城の石碑です。
土塁です。
新城城はほとんどが小学校の敷地となり、土塁と堀がわずかに残るのみです。
新城城の復元図です。
新城城は天正4年(1576)に奥平信昌が長篠合戦の戦功により長篠城にかわり築城しました。
長篠城に対して新しい城ということで新城と名付けられたといわれます。
満光寺 [寺院]
新城市下吉田町にある満光寺です。
柿本城の麓にあります。
柿本城主の鈴木長門守重勝が満光寺を創建しました。
重勝の娘は井伊真満の妻となり直親が生まれました。
元亀年間に武田信玄が三河に攻めてきたときに、徳川家康は満光寺に泊まっていました。
家康は住職に一番鳥が鳴いてたら起こしてくれるように頼んで休みました。
しかし、その夜に限ってニワトリが深夜に鳴き、住職は家康を起こして、家康はそのまま出発しました。
家康が出発するとすぐに武田軍が寺に攻めてきました。
こうして家康は九死に一生を得ました。
天下を取った家康はニワトリに寺領3石を与えて恩に報いました。
道の駅で売っていた柿本城とろろまんじゅうを売っていました。
柿本城の麓にあります。
柿本城主の鈴木長門守重勝が満光寺を創建しました。
重勝の娘は井伊真満の妻となり直親が生まれました。
元亀年間に武田信玄が三河に攻めてきたときに、徳川家康は満光寺に泊まっていました。
家康は住職に一番鳥が鳴いてたら起こしてくれるように頼んで休みました。
しかし、その夜に限ってニワトリが深夜に鳴き、住職は家康を起こして、家康はそのまま出発しました。
家康が出発するとすぐに武田軍が寺に攻めてきました。
こうして家康は九死に一生を得ました。
天下を取った家康はニワトリに寺領3石を与えて恩に報いました。
道の駅で売っていた柿本城とろろまんじゅうを売っていました。