井田城@愛知県岡崎市 [お城踏査]
井田城は愛知県岡崎市井田町城山にあった中世城郭です。
城跡は公園となっています。
一段高くなっています。
石碑です。
かなり大きいです。
碑は昭和51年に建てられました。
井田城は徳川氏の家臣の酒井氏の居城でした。
岡崎城の北にあり、北方の守りを固めていました。
堀跡です。
今は道路になっています。
城跡には城山稲荷もあります。
赤い鳥居が目立ちます。
井田城の江戸時代に描かれた絵図です。
酒井左衛門尉殿城跡とあります。
南方に大手筋と書かれています。
江戸時代には土塁と堀が残っていたようです。
城跡は公園となっています。
一段高くなっています。
石碑です。
かなり大きいです。
碑は昭和51年に建てられました。
井田城は徳川氏の家臣の酒井氏の居城でした。
岡崎城の北にあり、北方の守りを固めていました。
堀跡です。
今は道路になっています。
城跡には城山稲荷もあります。
赤い鳥居が目立ちます。
井田城の江戸時代に描かれた絵図です。
酒井左衛門尉殿城跡とあります。
南方に大手筋と書かれています。
江戸時代には土塁と堀が残っていたようです。
大樹寺 その2 [寺院]
大樹寺の続きです。
大樹寺は松平氏の菩提寺です。
徳川家康以前の八代の墓が並んでいます。
初代親氏の墓です。
二代泰親の墓です。
三代信光の墓です。
三代までは宝篋印塔の形です。
四代親忠です。
親忠から五輪塔になります。
大きさも大きくなります。
親忠は安城松平氏です。
五代長親です。
松平の勢力拡大につれて墓も大きく立派になっていきます。
六代信忠です。
信忠は『三河物語』によると暗愚な武将とされています。
七代清康の墓です。
家康の祖父で、聡明な武将で若くして三河を統一しました。
しかし25歳の若さで家臣に暗殺されてしまいます。
八代広忠の墓です。
何故か円筒で、僧侶の墓の形式です。
家康の父です。
広忠も同じく家臣に暗殺されてしまいます。
24歳の若さです。
松平氏は二代続けて家臣に暗殺されるという不幸により苦難の道をたどりました。
徳川家康の墓です。
一際立派です。
松平氏の歴代の墓は親氏から次第に立派になり松平の勢力拡大を示しているように見えます。
しかし、それにしてはあまりにうまく出来過ぎていて、特に親忠以降の五輪塔は形式から見ても新しく江戸時代になって作られたように感じます。
大樹寺が将軍の菩提寺となるにしたがって寺院が格をあげるために松平氏八代の墓を境内に整備したというのが本当ではないでしょうか。
大樹寺は松平氏の菩提寺です。
徳川家康以前の八代の墓が並んでいます。
初代親氏の墓です。
二代泰親の墓です。
三代信光の墓です。
三代までは宝篋印塔の形です。
四代親忠です。
親忠から五輪塔になります。
大きさも大きくなります。
親忠は安城松平氏です。
五代長親です。
松平の勢力拡大につれて墓も大きく立派になっていきます。
六代信忠です。
信忠は『三河物語』によると暗愚な武将とされています。
七代清康の墓です。
家康の祖父で、聡明な武将で若くして三河を統一しました。
しかし25歳の若さで家臣に暗殺されてしまいます。
八代広忠の墓です。
何故か円筒で、僧侶の墓の形式です。
家康の父です。
広忠も同じく家臣に暗殺されてしまいます。
24歳の若さです。
松平氏は二代続けて家臣に暗殺されるという不幸により苦難の道をたどりました。
徳川家康の墓です。
一際立派です。
松平氏の歴代の墓は親氏から次第に立派になり松平の勢力拡大を示しているように見えます。
しかし、それにしてはあまりにうまく出来過ぎていて、特に親忠以降の五輪塔は形式から見ても新しく江戸時代になって作られたように感じます。
大樹寺が将軍の菩提寺となるにしたがって寺院が格をあげるために松平氏八代の墓を境内に整備したというのが本当ではないでしょうか。