前橋城 その3 [お城踏査]
前橋城の続きです。
車橋門の石垣です。
小さな公園になっています。
完全に市街地化されていてとてもわかりにくい場所にあります。
ここが入り口です。
思わず通り過ぎてしまいます。
碑と説明板です。
車橋門は外曲輪から城内にはいる重要な門でした。
石積みの台石は一辺が7.7m×4.25m、高さは1.4mです。
石垣の間はとても狭いです。
これは昭和38年の区画整理の際に西の石垣が東に8m移動されたためです。
門の上に建つ石碑です。
厩橋城の曲輪橋御門跡と書かれています。
前橋城は以前は厩橋門といいました。
石垣は大きくきれいに整形された石で積まれています。
高さはありません。
もう一つの説明板です。
公園の地下に石垣が埋もれています。
車橋門の絵図です。
車橋という名からもしかすると引橋だったのかもしれません。
門に比較して隣の隅櫓が小さいです。
(終わり)
車橋門の石垣です。
小さな公園になっています。
完全に市街地化されていてとてもわかりにくい場所にあります。
ここが入り口です。
思わず通り過ぎてしまいます。
碑と説明板です。
車橋門は外曲輪から城内にはいる重要な門でした。
石積みの台石は一辺が7.7m×4.25m、高さは1.4mです。
石垣の間はとても狭いです。
これは昭和38年の区画整理の際に西の石垣が東に8m移動されたためです。
門の上に建つ石碑です。
厩橋城の曲輪橋御門跡と書かれています。
前橋城は以前は厩橋門といいました。
石垣は大きくきれいに整形された石で積まれています。
高さはありません。
もう一つの説明板です。
公園の地下に石垣が埋もれています。
車橋門の絵図です。
車橋という名からもしかすると引橋だったのかもしれません。
門に比較して隣の隅櫓が小さいです。
(終わり)
前橋城 その2 [お城踏査]
前橋城の続きです。
群馬県庁の前に残る土塁です。
土塁の前にある説明板です。
幕末に再建された城です。
幕末に再建された城ですが、縄張りは折れが多用されて軍学の影響がうかがわれます。
大きな丸馬出も2つあります。
大手門は変則的な角馬出でした。
天守は建てられませんでしたが、櫓台には砲台が作られていました。
土塁上に建てられた前橋城の石碑の入り口です。
前橋城の碑です。
字が小さく分かりにくいです。
石碑の解説です。
土塁上です。
かなり大きな土塁です。
土塁上には松が生えています。
土塁がコの字状に残っている様子がわかります。
隣のビルと比較すると二階部分と同じ高さがあります。
土塁です。
これ以上の破壊は防ぎたいですね。
馬の埴輪の模型です。
前橋市のマンホールです。
バラがデザインされています。
(続く)
群馬県庁の前に残る土塁です。
土塁の前にある説明板です。
幕末に再建された城です。
幕末に再建された城ですが、縄張りは折れが多用されて軍学の影響がうかがわれます。
大きな丸馬出も2つあります。
大手門は変則的な角馬出でした。
天守は建てられませんでしたが、櫓台には砲台が作られていました。
土塁上に建てられた前橋城の石碑の入り口です。
前橋城の碑です。
字が小さく分かりにくいです。
石碑の解説です。
土塁上です。
かなり大きな土塁です。
土塁上には松が生えています。
土塁がコの字状に残っている様子がわかります。
隣のビルと比較すると二階部分と同じ高さがあります。
土塁です。
これ以上の破壊は防ぎたいですね。
馬の埴輪の模型です。
前橋市のマンホールです。
バラがデザインされています。
(続く)
前橋城@群馬県前橋市 [お城踏査]
前橋城は群馬県前橋市にあった近世城郭です。
土塁です。
背後の建物は群馬県庁です。
近世城郭としての前橋城は関ヶ原合戦後に酒井重忠が入り、改修を行い近世城郭になった。
前橋城は利根川に面して築かれました。
そのため、利根川の度重なる氾濫により明和5年(1768)廃城となりました。
しかし、幕末になり国内の政情が乱れると文久3年(1863)に再び築城されました。
今残るのは幕末に築かれた城の遺構です。
前橋城の写真を見ると車橋門の遺構がよく紹介されているので、遺構は残っていないと思っていたけど、意外と土塁がよく残っていて驚きました。
それも土塁の規模は車と比較してもその大きさがわかります。
利根川の近くにある虎姫観音堂です。
この付近に天守があったと言われます。
観音堂の近くにある天守の絵です。
江戸初期の前橋城の天守は利根川の近くにありました。
前橋城は前期の城には天守はありましたが、幕末に再建された城には天守は築かれませんでした。
前橋城は天守復元の動きはありません。
前橋城本丸に聳え立つ群馬県庁です。
現在の天守閣です。
(続く)
土塁です。
背後の建物は群馬県庁です。
近世城郭としての前橋城は関ヶ原合戦後に酒井重忠が入り、改修を行い近世城郭になった。
前橋城は利根川に面して築かれました。
そのため、利根川の度重なる氾濫により明和5年(1768)廃城となりました。
しかし、幕末になり国内の政情が乱れると文久3年(1863)に再び築城されました。
今残るのは幕末に築かれた城の遺構です。
前橋城の写真を見ると車橋門の遺構がよく紹介されているので、遺構は残っていないと思っていたけど、意外と土塁がよく残っていて驚きました。
それも土塁の規模は車と比較してもその大きさがわかります。
利根川の近くにある虎姫観音堂です。
この付近に天守があったと言われます。
観音堂の近くにある天守の絵です。
江戸初期の前橋城の天守は利根川の近くにありました。
前橋城は前期の城には天守はありましたが、幕末に再建された城には天守は築かれませんでした。
前橋城は天守復元の動きはありません。
前橋城本丸に聳え立つ群馬県庁です。
現在の天守閣です。
(続く)
シンポジウム「霊仙城をめぐる山城―京極氏出撃拠点の山塊」 [お城情報]
シンポジウム「霊仙城をめぐる山城―京極氏出撃拠点の山塊」
日 時 2018年3月18日(日) 13時00分~17時00分
場 所 米原市近江公民館(滋賀県米原市顔戸1513)
定 員 300名(申込不要)
参加費 無料
内 容
「京極高広・高吉と北近江」太田浩司氏(長浜市)
「戦国後期近江南東部における六角氏の動向」振角卓哉氏(日野市教育委員会)
「霊仙山麓の尾根道・谷道」泉峰一氏(霊仙山トレイル研究会)
「霊仙山をめぐる山城」中井均氏(滋賀県立大学)
シンポジウム
問合せ
米原市教育委員会
℡0749-55-4552
日 時 2018年3月18日(日) 13時00分~17時00分
場 所 米原市近江公民館(滋賀県米原市顔戸1513)
定 員 300名(申込不要)
参加費 無料
内 容
「京極高広・高吉と北近江」太田浩司氏(長浜市)
「戦国後期近江南東部における六角氏の動向」振角卓哉氏(日野市教育委員会)
「霊仙山麓の尾根道・谷道」泉峰一氏(霊仙山トレイル研究会)
「霊仙山をめぐる山城」中井均氏(滋賀県立大学)
シンポジウム
問合せ
米原市教育委員会
℡0749-55-4552