水口城の天守? [お城踏査]

滋賀県甲賀市の水口城の天守です。

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とは言っても、実物大のバルーン天守です。

水口城は二つあり、織豊期の山城、水口岡山城と江戸時代の平城の水口城です。

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水口岡山城は天守がありましたが、形は不明です。

天守復元を望む声があり、山上に一時的なバルーンの天守があげられました。

今でもイベントの際には膨らませています。

実際に天守を復元するのはかなりハードルが高いですが、こういう形ならいいですね。
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水口城の御殿の玄関 [移築城門]

水口城の御殿の玄関が甲賀市内の蓮華寺に移築されています。

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お寺の庫裏の玄関に使用されています。

唐破風になっています。

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屋根の部分です。

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紅梁の部分には三つ葉葵が彫られています。

水口城が徳川将軍の宿泊所として作られたためです。

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玄関の天井です。

格式のある格天井です。

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蓮華寺は浄土真宗高田派の寺院です。

水口山蓮華寺です。

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五十鈴神社 [神社]

滋賀県甲賀市水口町東林口にある五十鈴神社です。

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水口城下町にあります。

祭神は天照大神です。

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長寛2年(1164)に御厨田の守護神として伊勢神宮から福原大神宮として分祀されました。

江戸時代には水口城主の加藤明友が信仰して御影石、手洗鉢を寄進しました。

明治4年に五十鈴神社と改称されました。

五十鈴の名が伊勢神宮との関係を思わせます。

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五十鈴神社の前は東海道が通り、境内には一里塚もありました。
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水口教会会堂 [歴史雑話]

水口町にある水口教会会堂です。

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昭和5年に近江ミッション(後の近江兄弟社)により牧師館とともに建てられました。

設計はヴォーリズ設計事務所、木造モルタル仕上げ、平屋建て。

屋根はスレート葺き。

城下町の街角に違和感がありません。
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水口城下町 [歴史雑話]

水口は城下町であるとともに東海道五十三次の宿場町でもあります。

50番目の宿場町でした。

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城下町の街並みです。

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風情のある街並みです。

格子戸が美しいです。

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武家屋敷の長屋門です。

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長屋門の見張り窓です。

戸扉もしっかりとしています。

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同じく武家屋敷の長屋門です。

現在は真徳寺の表門として移築されています。

一部改修されていますが、水口では数少ない武家屋敷の遺構です。

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百間長屋跡です。

現在は取り壊されていますが、かつては下級武士の屋敷でした。

百間(180m)の棟割長屋でした。

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昭和30年頃までは残っていました。

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旧東海道です。

いまでも道はそのまま残っています。

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水口町のマンホールです。
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水口城 その4 [お城踏査]

水口城の続きです。

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資料館内にある水口城絵図です。

本丸に四方に二重櫓が描かれます。

北の枡形虎口には2つの二重櫓がある厳重な構えでした。

本来は桝形のほうが正式な入り口で、出桝形のほうは橋がなく予備的な虎口の扱いだったのでしょうか。

凸形の縄張りは加納城にもみられる様式で徳川氏の築城術の特徴のひとつです。

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もう一種類の絵図には四隅は一重櫓が描かれています。

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水口城の模型です。

現在復元されている部分です。

枡形部分は櫓はなく、本丸の入り口には渡り櫓がありました。

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同じく模型です。

本丸の枡形です。

こちらは内桝形で、もう片方の外桝形と機能分担しています。

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出桝形から本丸への虎口です。

櫓門風に出来ていますが、実際はトイレです。

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枡形内の土塀の内側です。

控え柱があります。

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水口城付近の地図です。

本丸の周囲が残っている様子がわかります。

(終わり)
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水口城 その3 [お城踏査]

水口城の続きです。

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復元された門です。

高麗門です。

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城内から見るとこんな感じです。

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移築復元された隅櫓です。

結構大きいです。

厳密にはここには櫓はなかったので復元ではありません。

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内部の様子です。

木造です。

中は資料館になっていて水口城に関する資料が展示されています。

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狭間も作られています。

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二階の様子です。

二階は広間になっています。

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二階の屋根の見上げです。

(続く)
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水口城 その2 [お城踏査]

水口城の続きです。

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出桝形の石垣です。

しっかりとした石垣です。

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北西の櫓台です。

水口城の本丸はほとんどが土塁造りで櫓台のみが石垣でした。

本丸の四隅に櫓がありましたが、ここが一番立派な櫓が建てられました。

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石垣の隅は算木積みとなりしっかりした石垣です。

本来ならばここの櫓台に櫓を再建したほうが良かったと思いますが、奥まった位置にあるので、観光的にはイマイチだったようです。

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本丸の堀です。

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本丸のもう一つの虎口です。

ここは本来は桝形虎口になっていましたが、桝形は破壊されています。

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本丸跡はグランドになっています。

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本丸の出桝形の門です。

(続く)
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水口城@滋賀県甲賀市水口町 [お城踏査]

水口城@滋賀県甲賀市水口町にあった近世城郭です。

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隅櫓風の建物ですが、中は資料館です。

実際にはこの位置には櫓はありませんでした。

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説明です。

水口城は、徳川家光が寛永11年(1634)に上洛の際の宿泊城として、築城しました。

実際に使われたのは一回のみでした。

その後は幕府の管理する「番城」となりました。

天和2年(1682)に加藤明友が2万石で入り、水口藩となりました。

その後一時鳥居氏が入りましたが、再び加藤氏が入り幕末を迎えました。

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隅櫓は平成3年に建てられました。

市内の民家に移築されていた本丸乾矢倉を移築したそうです。

もともとは単層櫓でしたが、二重櫓に改装したようです。

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出丸の石垣と橋です。

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橋と門です。

奥に隅櫓が見えます。

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水口城の図です。

凸形をしています。

この出っ張った部分に櫓を作っています。

(続く)
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丸窓電車 [鉄道]

名鉄の丸窓電車が屋外展示されています。

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岐阜市の金公園にあります。

金神社の隣の公園です。

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横から見た図です。

丸窓が見えます。

名鉄モ513です。

「丸窓電車を保存する会」によって保存が行われています。

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岐阜市内を走る路面電車でした。

柵に囲まれていて近くには近付けません。

イベントの時に公開されることもあるそうです。

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