久々利城@岐阜県可児市 [お城踏査]

久々利城は岐阜県可児市久々利にあった中世城郭です。

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久々利城の入り口です。

ここでも久々利城の旗がひらめきます。

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説明です。

土岐氏の一族である土岐久々利氏の城です。

初代康貞から代々土岐三河守悪五郎を襲名しました。

天文17年(1548)に金山城の斎藤妙春を討って中・東美濃地域を支配しました。

しかし、天正11年に森長可に討たれ久々利城は落城しました。

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久々利城の縄張り図です。

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虎口です。

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枡形虎口の説明です。

パロマの寄贈です。

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三の丸の切岸です。

かなりシャープです。

よく整備されていて見やすいです。

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二の丸です。

久々利城の旗が目立ちます。

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本丸跡です。

本丸、二の丸、三の丸は段曲輪が続きますが、土塁はありません。

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本丸から二の丸、三の丸を見下ろした図です。

久々利城はよく整備されていて見やすい城です。

山もそれほど高くなくて楽に登れます。

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今城@岐阜県可児市 [お城踏査]

今城は岐阜県可児市にあった中世城郭です。

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今城跡への入り口です。

中世城郭への入り口が表示されていることは珍しく親切です。

大垣共立銀行の提供?

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今城の石碑です。

大森城と同じころに建てられたようです。

天文年間に小池刑部家継が築城しました。

天正年間森氏により退去開城。

大森城と同じ歴史ですね。

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今城も城の登り口に旗が閃いています。

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井戸跡です。

今も水を湛えています。

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堀跡です。

だいぶ埋まっていますが、かすかに凹んでいます。

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主郭にある説明板です。

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絵図のアップです。

江戸時代に描かれたものでしょうか。

よく形を表しています。

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本丸跡です。

周囲に土塁が巡っています。

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本丸の虎口です。

今城は曲輪に土塁が巡り、虎口が明瞭で曲輪配置にメリハリがあります。

戦国期の築城の特徴を備えた軍事的な山城です。

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今城跡に置いてあるパンフレットです。

カラーでイラストや縄張り図も書かれていてとてもわかりやすいです。

このようなパンフレットが置いてある可児市は山城の保存と活用に力を入れています。

お城の専門家の中井均先生や昇太師匠の講演会などのイベントも多く開催しています。
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大森城@岐阜県可児市 [お城踏査]

大森城@岐阜県可児市大森にある中世城郭です。

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大森城の遠景です。

小高い山に築かれていました。

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山麓の神社入り口にある碑です。

パンフレットも置かれているのは嬉しいですね。

大森城は永禄年間に久々利城主土岐氏の家老奥村氏が築城したと言われます。

天正10年に森長可により落城しました。

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大森城の旗がはためいています。

可児市は中世城郭の整備に力を入れています。

なかなか中世城郭で幟旗があるところはありません。

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説明です。

縄張り図があるのはわかりやすくていいですね。

堀や土塁をカラーで塗ってくれるとよりわかりやすいですね。

大森城の近くの吹ケ洞砦の縄張り図も掲載されています。

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大森城の縄張り図です。

山上に曲輪を4つ並べています。

それを横堀で囲み、曲輪は土塁を巡らせます。

枡形虎口や櫓台状の遺構もあり、戦国期の素晴らしい縄張りが味わえます。

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主郭下の横堀です。

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主郭です。

きれいに草が刈られていて見やすいです。

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虎口跡です。

写真だとわかりにくいですが。

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稲葉城(和知城)@岐阜県加茂郡八百津町 [お城踏査]

稲葉城は岐阜県加茂郡八百津町野上にあった中世城郭です。

別名は和知城です。

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現在は公園となっています。

門へ土塀は模擬です。

公園の入り口としての門です。

海鼠塀ぽくそれなりです。

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縄張り図です。

木曽川と石川に挟まれた要害の地に築かれていました。

土塁や堀の遺構が残っています。

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空堀です。

薬研堀で規模が大きいです。

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本丸は公園になっています。

櫓状の建物も作られています。

天正18年に美濃国安八郡の西保城の城主の稲葉右近方通が築城しました。

稲葉氏は関ヶ原合戦で東軍に味方して江戸時代には4400石を領することになり、元和3年には尾張藩に所属しました。

しかし、五代目の良通の時に延宝4年に無嗣断絶して、廃城となりました。

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井戸跡です。

今も水があります。

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土塁跡です。

かなりの規模があります。

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和知城の石碑です。

稲葉城よりも和知城の方がしっくりきます。

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稲葉城の木標もあります。

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稲葉城公園のイラスト図です。

このように描かれるとイメージがよくわかります。

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金山城@岐阜県可児市 [お城踏査]

金山城は岐阜県可児市にあった中世城郭です。

標高277mの古城山にあります。

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石碑です。

金山城は犬山城の天守が移築された元の城としても有名です。

移築説は現在は否定されています。

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かつては天守の穴蔵と言われていた石垣です。

今は本丸の虎口と推定されています。

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本丸の測量図です。

天守跡や御殿もあったようです。

石垣が多用されています。

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本丸の石垣です。

野面積みです。

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説明です。

戦国時代には森一族が城主となりました。

初めは森可成が城主となりました。

森氏は織田信長、豊臣秀吉に仕えましたが、戦死者が非常な多い悲運の一族です。

可成は宇佐山城の戦いで戦死、長男の可隆は手筒山城の戦いで戦死、弟の蘭丸、力丸、坊丸の三兄弟は本能寺の変で戦死します。

跡をついで森長可は小牧長久手合戦で戦死。

最後は六男の忠政が跡を継ぎます。

一族の男子で6人も戦死しています。

信長、秀吉といういわゆる勝ち馬に乗りながらここまでの戦死者を出すのは異常です。

悲運の森一族です。


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大手門の桝形です。
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シンポジウム「発見!掘ってわかった城下町の暮らし」 [お城情報]

お城のイベントの案内です。


シンポジウム「発見!掘ってわかった城下町の暮らし」
日 時 2018年5月19日(土)13時00分~
場 所 5-Daysこども文化科学館(広島県東広島市)
参加費 無料(要申込会員外3500円)
定 員 250名
内 容
「広島城跡発掘調査にみる台所事情」若島一則氏 (広島市文化財団)
「松江城下町遺跡」小山泰生氏(松江市文化振興財団)
「発掘調査からわかった高松・丸亀城下町」竹内裕貴氏 (香川県埋蔵文化財センター)
「近世城下町の食文化と動物」石丸恵利子氏 (広島大学)
問合せ
広島大学総合博物館
℡082-424-4212
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名古屋城本丸御殿復元工事の現況 平成30年5月上旬 [名古屋城本丸御殿]

名古屋城本丸御殿復元工事の現況です。

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ゴールデンウィーク中と言うこともあっていつにも増して観光客が多かったです。

本丸御殿にも長蛇の列。

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手前は表書院、奥が来月公開の上洛殿です。

外観は変わりません。

現在は襖や欄間などの内装工事です。

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上洛殿です。

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表書院から上洛殿越しに天守を望む。

この光景も天守も木造再建のためしばらく見えなくなりそうです。

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台所と天守です。

5月6日で天守の公開は終了です。

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天守への登閣はあと4日ということで長蛇の列です。

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列は伸びています。

メ~テレの中継車もいました。

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行列は裏門から本丸を出で続きます。

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天守への入城を待つ行列は本丸を半周していました。

約1時間待ちでした。

ゴールデンウィーク中とは言え、名古屋城がこんなに混雑していたのは初めて見ました。

5月7日からは天守に登れないため、登り納めとして多くの観光客が訪れていました。

名古屋城が愛されている証拠ですね。

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様々なイベントが行われていました。

犬山市のゆるキャラ「ワン丸」との記念撮影。

司会は犬山市観光学生大使さんです。

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天守の石垣には足場が組まれていました。

調査のためでしょうか。

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西の丸に建設中の文化財収蔵庫です。

すでに形が出来てきました。

RC造りのため工事は早いです。

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6月8日の完成公開まであと36日です。

あと1ケ月ちょっとです。



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高須城@岐阜県海津市 [お城踏査]

高須城は岐阜県海津市にあった近世城郭です。

高須陣屋とも言います。

尾張徳川藩の支藩です。

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遺構はありません。

堀跡が川となり、城跡は宅地や工場になっています。

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城跡を地形図に書き入れた図です。

ほぼ宅地になってます。

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海津市のマンホールです。

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加藤ディーゼル機関車 [鉄道]

海津市歴史民俗資料館に展示されてます。

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加藤ディーゼル機関車です。

正面にはKATO WORKS の文字が書かれています。

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横からです。

小さな機関車です。

全長3m10㎝、重量4トンです。

細大馬力70馬力。

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海津市の水田はかつては泥田でした。

昭和29年から泥田の埋め立てが始まりした。

その埋め立てで土を運ぶのに使われたのがこの機関車です。
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高須城@岐阜県海津市 [お城踏査]

高須城を模した海津市歴史民俗資料館です。

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お城を模しています。

高須城(高須陣屋)は尾張徳川藩の支藩でした。

資料館を見ると御殿のように見えますが、海津城の御殿の一部を再現したものです。

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御書院の間の上段の間です。

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違い棚と床の間を備えた書院造りの部屋です。

障壁画は史料がないため金箔貼です。

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天井は格式の高い格天井です。

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山吹の間です。

山吹の間は北側に寝所が続く藩主の私的な書院です。

数寄屋造りの形式です。

二畳の上段と同幅の違い棚は桂離宮新御殿と同じです。

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高須城の御殿の図です。

御書院と山吹の間が並ぶ様子がわかります。

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御殿の全体図です。

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高須四兄弟の写真です。

左から松平定敬、松平容保、徳川茂栄、徳川慶勝 です。

高須藩は三万石の小藩ですが、幕末に大きな影響を与えた人物を輩出したたことで有名です。

高須藩は尾張藩の支藩ですが、家格は高く御三家や御三卿などの後継ぎがいないときに養子を出しました。

高須藩主松平義建の息子が四兄弟です。

松平定敬は桑名藩主となります。

松平容保は会津藩主となり、京都守護職として活躍しました。

徳川茂栄は高須藩11代藩主になった後に尾張藩15代藩主となります。
その後は徳川宗家の跡を継いだ徳川慶喜の跡に入り、一橋家の当主となります、

徳川慶勝は尾張徳川家を継ぎます。

このように高須藩から四人の藩主が出たことは驚きです。

桑名藩と会津藩が幕府方として活躍した背景にはこのような血縁があったのですね。

この写真は明治11年に写されたと言われます。




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